訪れる時間、最もクリティカルでラディカルな。よろめきは時としてゆらめきの美となりて。

人と話すのは良い。それを経て、車道の中央を突き抜ける破線を縫うように走るとき、最もクリティカルな時間が訪れる。朝方になって、経済学部に転部する理由について質問された。ものすごく純粋で僕にとって良い、してもらいたい、してもらうべき質問だった。とても感謝したい。以下が、ざっとその理由を整理したものである。
発端は、文学の脆弱さ、必要とされていない、まぁ、そこらへんの人と同じくらいの、それでも僕はそこらへんの人と同じだけの存在価値(素晴らしい)があると考えていた、そんな文学の弱さに気付いたことである。文学とは言葉である。言葉はある言語(単語と文法)とその論理的つながりからなる。いわゆる語学とロジックである。語学とロジックで世界の成り立ちを追求するものが文学である。ロジックの弱さ、これは論理学をきちんと勉強すれば何とかなる。そして、論理が整然としている論に人々は注目する。整然としている論理は強い。
問題なのは、言語の分裂である。バベルの塔なのだ。言語の不統一というものは文学を弱くする。表象の不統一性、ゆらめきというのは趣味としての文学の魅力であると同時に学問としての文学にとっては弱さにもなりうる。ゆらめく美はときとしてよろめくのだ。文学は、ある言語の修得者にその効用の範囲を狭めるのである。例えば、ニコマコス倫理学の理解はギリシア語を介してでしかなされ得ない。英語を解さないものは、プラグマティズムの文献を読めないし、パプアニューギニアの族長が簡潔で理路整然としたロジックで論を展開していたとしても、それはその言葉を持つ人々の間でしか理解されない。西洋の言語がマイノリティとなっている現在では、そういったマイノリティな言語で表されたもの万人に理解されるのは難しいし、何より研究者は注目しない、というよりも、注目できない。
また、特殊な訓練を積まない限り、大体の人の母語は一つであり、人々は一つの母語から派生して様々な言語を習得する。各々の言語にはその言語体系に応じた独特のロジックを有すると僕は考える。例えば僕は日本語と英語しかできないが、日本語の考え方と英語の考え方はだいぶ異なると考えている。人々は、母語として習得した言語がもつ独特のロジックにその思考の道筋を支配される。二次的に言語を習得する場合でも、母語として習得した言語のロジックをベースにその言語を習得し、母語のロジックは二次的に習得した言語が持つ独特のロジックを侵食する。このため、二次的に習得した言語には母語として習得した言語との感覚にずれが生じる。二次的に習得した言語で物を書いたとしても、一次的に習得した言語のロジックを翻訳するだけに終始する場合が多い。ましてや、3つ目、4つ目、の二次的に取得した言語ともなると、母語(つまり、各人の思考の核となる言語)との間に生じる乖離は大きくなってゆく。(この部分には、習得言語数が多くなればなるほど、言語についての知識は増えるのではないかという指摘があるかと思われるが、それは単に言語に対する考えの深まりであって、各々の言語が持つ独特のロジックを習得することではない。あくまでもある言語のロジックに対する理解である。この理解はいかなる言語によって行われるか? 母語やそれに準ずるもののロジックを介することによって理解が行われるだろう。)
これでは、例えば一つの言語における文学のエキスパートにはなれるかもしれないが、二つ目、三つ目となると難しいし精度は鈍る。これでは、翻訳を抜きにしてポーランドの作家とアラビアの作家をつきあわせて研究し、それを中国人に理解してもらえるように説明することは非常に難しいのである。例えば、こういった問題を解消しようとした例としてエスペラント語というものがある。世界の言語を一つにまとめようとして頓挫した一大プロジェクトである。しかし、これは西洋の言語をベースにしたもので、西洋の言語体系からはずれる言語特有の考え方、ロジックというものを抹殺してしまう可能性がある。この方法は好ましくない。
こうした問題を解消するためには、言語が負う表象の部分が論に与える影響をなるべく小さくする必要がある。そのためのツールとして僕は経済学を考えた。価値、という概念を介して物と物、物と人がつながるこの社会を分析するツールとしての経済学に魅力を感じるのである。経済学は言葉と概念の結びつきがきちんと定義されているために、言語間の意味のブレが小さい。現状の社会がどうなっていて、何をどうすれば(これは本当に陳腐だけれど、もうこう表現するしかない)人々は幸せに生活できるのかということ。そういったテーマを考えるために僕は文学と言うバベルの塔に分断された世界を見捨てて、新たに経済学というツールを学ぶ意義を感じているのである。そして、副次的なテーマとして、外から文学を俯瞰した場合に、それがこの社会でどんな役割を果たしているのか、果たしてくべきなのかということを「言いたい」もしくは「表現したい」のだ。そうすることによって、不統一な言語によって分断され、よろめきながら進む文学を後押しして、安定したゆらめきの美へと変容させたいのだ。この願望は僕をここまで運んできた文学への愛、もしくは愛のようなものだと思うし、自己満足的な恩返しだと思う。そしてそれは、文学というツールでは表現不可能なことだと思う。
理想を書いてしまった。現実はもっと厳しく、トントン拍子に事が進むはずがないとうことは、百も承知のつもりだけれど。
「海へ出た夏の旅」というサニーデイサービスの曲を聴いていて、京都ではかの有名な大文字焼きが行われていたあの日、あの福井の自殺の名所で、松林を抜けてカッと光が照りつける場所へ出たときのこと、かつては塩をつくっていたと言われる古代の遺跡の上で、たたずんでペットボトルのお茶を飲んだあの夏の風景のことを思い出す。そんな記憶が、そのあとに入った海辺の温泉の塩辛さとぬるさも含めて、そんな記憶が一緒にいた友人と共有されていれば良いなと思う。記憶の増大は記憶の共有によって達成されるよねなんて、フィッシュマンズ意識してサトちゃんに言ってみたりして。