沖縄のこと、もしくはお金でなんらかの物を買うことについて

今月の頭に沖縄に行ってきた。高校時代の友人4人との旅だったが、うわべでは言葉を言葉で洗う過酷なディスりあいがおこなわれつつ、本質的にはのんびりした旅行だったと思う。夏はまだまだ夏で、夕方の夕立も含めて夏だった。実質3日間の行程で、かの有名な水族館(ただし、ジンベエザメを育てる技術は日本中の水族館に流出してしまっており、今後これだけではかなり客寄せが厳しくなるものと思われる。)、今帰仁城首里城、本島のビーチ(どの水着の女の子を盗み見ようか迷っていたら、デジカメのケースとスペアの電池パックをなくした)と離島のビーチ(水着の女子はおろか人がほとんどおらず、おかげでコンタクトが外れるほど泳いだのを後悔しないですんだし、野生のウミガメを見ることができ、なんだか達観した気分になって本島にもどった。友人は携帯電話を水没させる代わりにウミガメを見たのでそれはそれでなんだか達観した気分になっていたようだった。)、平和祈念資料館等に行った。毎日おいしいものを食べすぎ、6発6中でインターンシップの選考に落ち多少のショックを受けていたとはいえ、少し贅沢しすぎたように思う。

結果から言うと僕はアイデンティティや共同体、公共といった概念の難しさ、一筋縄でなさ、に傷心したといったところである。

到着した日、ホテルに荷物を置いて最初に訪れたのは国際通りという有名な観光客向けの那覇市の目抜き通りだった。それまでの感想は、車を運転してみて、南国の島らしい山がちで複雑な町並みだなという印象、それから航空機内にあった航路を示す地図で見る沖縄の距離的な遠さである。違和感が顕在化したのは国際通りで友人が「同じ店が通りに3軒あるってことは3分の1歩けば十分ってとこだな」とつぶやいたことがきっかけだった。目抜き通りのはずの国際通りには端的に言って観光客向けのうさんくさい店しかない。町の繁華街が観光客向けの店が並ぶ通りだという現状のほかに客引きの強引さ、店の商品の陳列の仕方、などにタイ、ベトナムキューバといったかつて僕が赴いたことのある南国の不健全な(それを不健全だと言い切ってしまう僕自身が一番不健全なのだが)観光業の匂いを感じた。

観光業は客に媚びなければ成り立たない。別の言い方をすれば、大勢が「そうあるべき」もしくは「そうだろうな」と思っている姿を本来の姿とは違っている場合にも強制させられることによって成り立っている。リゾートは大衆のアイドルでいなければならないし、大衆は社会的に観光地に観光地らしさを要請してしまっている。これは京都にいても似たようなものをうすうす感じることができる。そしてこのことは、モノカルチャーの上に観光業を無理やり接ぎ木したような南国のリゾート地独特の雰囲気もあいまって、金をたたきつけて悦楽を買う、もしくは金と引き換えに喜びを売る、一種のいかがわしさを想起させるのである。そもそも日本人が現在の形態でこぞって旅行にいく文化というのは、戦前から軽井沢に別荘を持っているような一部の富裕層を除けば、戦後1950年代にできた「修学旅行」というシステムや休みの日に熱海など温泉地に赴くような習慣に端を発し、高度経済成長期に大いに発展するらしいのだが、詳しいことは控えておく。(このあたりのことは、映画『東京物語』の解説やみうらじゅん氏による「いやげもの」の説明に詳しい。)

沖縄県人は、ともすれば台湾に近く自国の領土だということが実感しにくい沖縄になんとなく外国に準じるようなまなざしを送ってしまう。しかし、むしろ沖縄県人のほうが日本という国を意識する機会も多く日本の中の沖縄を強く意識しているのではないだろうか。小学校の教科書ですら、琉球は江戸時代まで外国だったというようなことが書かれている。非沖縄県人と沖縄県人のこうした感覚のズレはまさしく前述のように観光客としてやってくる内地の人間を受け入れるときに顕著にあらわれる。ズレを埋めたいと思う一方でズレを期待してやってくる観光客に対してズレを演じなければいけないという苦悩。平和記念資料館の例がわかりやすいかもしれない。平和記念資料館は主に沖縄戦アメリカによる統治時代の記録をとどめるために建てられた資料館であり、本島最南部にある。行ってみるとわかるのだが、広大な敷地をつかって整備された大きな公園になっており、巨大な資料館のほかに沖縄戦での戦没者慰霊碑が設置されている。また、資料館の内容は沖縄戦のみならず第二次世界大戦前後の日本の状況を当時の資料を中心に説明しており、第二次世界大戦の一部として沖縄戦を主に扱うといった姿勢日本の中の沖縄を意識した展示づくりは製作者の狙いであろう。また、アメリカによる占領時代の状況などもまとめられており、学校教育では触れられない現在かなり貴重なものだと思われる。しかし、広島や長崎の原爆記念館と違ってあまり注目されていないようである。原爆にくらべると白兵戦のインパクトは薄いかもしれないが、比肩するくらいの悲惨さがあったものと思われる。(手記を集めて大判の本にしてまとめているコーナーがあったが、自分が殺されるシーンで終わるわけのわからない話もあってそのあたりは眉唾だった。)この点に、こういったことを主張しすぎるとバカンスに水を差すのではないかと遠慮して、身を引く姿勢が少なからず関係しているように思われるのだ。首里城も同様である。首里城はかつて現在のように復元がされておらず、がっかりスポットとして名を馳せていたらしいが、どうやら沖縄戦で大破して戦後、守礼門のみが残り、がっかりスポットと呼ばれるようになったらしい。首里城の展示自体にことのことは触れておらず、同様の遠慮が垣間見えた。

緑やピンクに縁どられた黄色の文字で「沖縄」とでかでかと書かれたガイドブックが僕らをミスリードしたのかもしれないが、そこは想像していたのとは少し違う雰囲気だった。僕自身が想像通りのものを金で買うことだけでは満足しきれなかったのかもしれない。「沖縄が好きだ」とか言っている内地の人はいささか能天気で幸せな貨幣経済の奴隷ではないかと思う。金と引き換えに、想定した通りの型にはまったパフォーマンスを要求する貨幣経済の文化に違和感を感じる方がおかしいのは重々承知しているはずなのだが。帰りの飛行機で山下達郎のニューアルバムを一通り試聴し、なんだか涙が流れそうになってしまった。