知り合いのMM経験者二人になる。

MMと言っても「みなとみらい」の方ではなく結構笑えない方MMですが。コクトーの「阿片」は麻薬文学として認めない、みたいなことを言ってたのは誰だっけか。その人が唯一認めるとか言ってた麻薬文学はなんだっけ? 健忘。
そしてついに、ついにあのSPANK HAPPYのCDを全部まるごとごっそり手に入れる。というかひょんなことで知り合いになった10歳も年上の社会人の方に借りた。もちろん菊地成孔feat.岩澤瞳名義になっている、「普通の恋」も。垂涎というか、むしろ垂涎逆流。ビデオテープの巻き戻しみたいに。ブログのタイトルを「手に入れる普通の恋に入れる手」とかにして勘違いされそうなくらいにうれしい。ちょっと聴いてみて、「ナルヨシせんせーい!」となって、そうだボリス・ヴィアンの小説読もうかと思って、これまた借りてた日々の泡を引っ張り出してきて読んでも、誤訳かと思うくらい突拍子も無いこと書いてあって投げ出して、一時的なナルヨシ熱がさめつつもあり、やや、うたかたの日々はキョンちゃんの漫画読んだんだから原作も読まなきゃいけない、と思いながらウイニングイレブンをやって、アデバヨールという選手に四得点くらい決められ、熱はどんどんと冷め、ゆらゆら帝国のライブが来月二十日にあるということでそちらの方を射程に入れての本日の午後のあたりでございました。
午前中は、日本文学盛衰史戦後文学編の続きを読むために群像を手に取るも、保坂和志の最初だけじゃよくわからん連載小説に阻まれ、そういえば前期ジェンダー論のゼミの発表でヴァージニア・ウルフを取り上げかけたときに参考にした論文は保坂和志の奥さんが書いたものだったのだということに夏休みに気付いていたなぁと思い出し、ついでに結局変に柄谷行人に手を出したりしてゼミの発表は大失敗だったことも思い出し、嫌な気分になったところででてきた小説が吉村萬壱とかいうどっかで聞いたことある作家の「太り肉(じし)」。ともすると昭和のいわゆるカストリ雑誌に載ってそうなグロ小説なのだが、むしろ漫☆画太郎先生が文壇デビューしたみたいな作品で滑稽,特に言葉遣いがおもしろくて、大学の図書館で笑いをこらえて読むのがつらい、というか隅っこで笑っている変な人にさせられた。(概してこらえなければならない時ほど面白さが倍増するものである、だから吉田戦車の漫画は電車の中で読んでた)ここでいけないけないと、タカハシさんの連載を開くも、時計を確認したところ3限が始まる時刻だったので、「ラップで歌えサルトル」という表題だけを頭に刻み込み、今回取り上げるのはきっと丸谷才一裏声君が代だろなと思いながら自転車で「19世紀から20世紀にかけての通信販売に関する授業をします」と言っておきながら毎回フィラデルフィアフィリーズの話ばかりする教授のアメリカ現代史という授業へ向かった。最終的に筆箱を忘れてぼーっとしてただけなのだが。
ちなみに顔が知りたくなって保坂和志をググールで画像検索にかけたら、村上春樹の画像がしょっぱなに出てきて、あまりにも平然と「保坂和志」を装ってるもんで笑った。「私は池袋を篠島が歩いていた」というような訳の分からない文章が、おそらく誤植なのだろうが、冒頭にあって言語感覚をねじきられる。