沖縄のこと、もしくはお金でなんらかの物を買うことについて

今月の頭に沖縄に行ってきた。高校時代の友人4人との旅だったが、うわべでは言葉を言葉で洗う過酷なディスりあいがおこなわれつつ、本質的にはのんびりした旅行だったと思う。夏はまだまだ夏で、夕方の夕立も含めて夏だった。実質3日間の行程で、かの有名な水族館(ただし、ジンベエザメを育てる技術は日本中の水族館に流出してしまっており、今後これだけではかなり客寄せが厳しくなるものと思われる。)、今帰仁城首里城、本島のビーチ(どの水着の女の子を盗み見ようか迷っていたら、デジカメのケースとスペアの電池パックをなくした)と離島のビーチ(水着の女子はおろか人がほとんどおらず、おかげでコンタクトが外れるほど泳いだのを後悔しないですんだし、野生のウミガメを見ることができ、なんだか達観した気分になって本島にもどった。友人は携帯電話を水没させる代わりにウミガメを見たのでそれはそれでなんだか達観した気分になっていたようだった。)、平和祈念資料館等に行った。毎日おいしいものを食べすぎ、6発6中でインターンシップの選考に落ち多少のショックを受けていたとはいえ、少し贅沢しすぎたように思う。

結果から言うと僕はアイデンティティや共同体、公共といった概念の難しさ、一筋縄でなさ、に傷心したといったところである。

到着した日、ホテルに荷物を置いて最初に訪れたのは国際通りという有名な観光客向けの那覇市の目抜き通りだった。それまでの感想は、車を運転してみて、南国の島らしい山がちで複雑な町並みだなという印象、それから航空機内にあった航路を示す地図で見る沖縄の距離的な遠さである。違和感が顕在化したのは国際通りで友人が「同じ店が通りに3軒あるってことは3分の1歩けば十分ってとこだな」とつぶやいたことがきっかけだった。目抜き通りのはずの国際通りには端的に言って観光客向けのうさんくさい店しかない。町の繁華街が観光客向けの店が並ぶ通りだという現状のほかに客引きの強引さ、店の商品の陳列の仕方、などにタイ、ベトナムキューバといったかつて僕が赴いたことのある南国の不健全な(それを不健全だと言い切ってしまう僕自身が一番不健全なのだが)観光業の匂いを感じた。

観光業は客に媚びなければ成り立たない。別の言い方をすれば、大勢が「そうあるべき」もしくは「そうだろうな」と思っている姿を本来の姿とは違っている場合にも強制させられることによって成り立っている。リゾートは大衆のアイドルでいなければならないし、大衆は社会的に観光地に観光地らしさを要請してしまっている。これは京都にいても似たようなものをうすうす感じることができる。そしてこのことは、モノカルチャーの上に観光業を無理やり接ぎ木したような南国のリゾート地独特の雰囲気もあいまって、金をたたきつけて悦楽を買う、もしくは金と引き換えに喜びを売る、一種のいかがわしさを想起させるのである。そもそも日本人が現在の形態でこぞって旅行にいく文化というのは、戦前から軽井沢に別荘を持っているような一部の富裕層を除けば、戦後1950年代にできた「修学旅行」というシステムや休みの日に熱海など温泉地に赴くような習慣に端を発し、高度経済成長期に大いに発展するらしいのだが、詳しいことは控えておく。(このあたりのことは、映画『東京物語』の解説やみうらじゅん氏による「いやげもの」の説明に詳しい。)

沖縄県人は、ともすれば台湾に近く自国の領土だということが実感しにくい沖縄になんとなく外国に準じるようなまなざしを送ってしまう。しかし、むしろ沖縄県人のほうが日本という国を意識する機会も多く日本の中の沖縄を強く意識しているのではないだろうか。小学校の教科書ですら、琉球は江戸時代まで外国だったというようなことが書かれている。非沖縄県人と沖縄県人のこうした感覚のズレはまさしく前述のように観光客としてやってくる内地の人間を受け入れるときに顕著にあらわれる。ズレを埋めたいと思う一方でズレを期待してやってくる観光客に対してズレを演じなければいけないという苦悩。平和記念資料館の例がわかりやすいかもしれない。平和記念資料館は主に沖縄戦アメリカによる統治時代の記録をとどめるために建てられた資料館であり、本島最南部にある。行ってみるとわかるのだが、広大な敷地をつかって整備された大きな公園になっており、巨大な資料館のほかに沖縄戦での戦没者慰霊碑が設置されている。また、資料館の内容は沖縄戦のみならず第二次世界大戦前後の日本の状況を当時の資料を中心に説明しており、第二次世界大戦の一部として沖縄戦を主に扱うといった姿勢日本の中の沖縄を意識した展示づくりは製作者の狙いであろう。また、アメリカによる占領時代の状況などもまとめられており、学校教育では触れられない現在かなり貴重なものだと思われる。しかし、広島や長崎の原爆記念館と違ってあまり注目されていないようである。原爆にくらべると白兵戦のインパクトは薄いかもしれないが、比肩するくらいの悲惨さがあったものと思われる。(手記を集めて大判の本にしてまとめているコーナーがあったが、自分が殺されるシーンで終わるわけのわからない話もあってそのあたりは眉唾だった。)この点に、こういったことを主張しすぎるとバカンスに水を差すのではないかと遠慮して、身を引く姿勢が少なからず関係しているように思われるのだ。首里城も同様である。首里城はかつて現在のように復元がされておらず、がっかりスポットとして名を馳せていたらしいが、どうやら沖縄戦で大破して戦後、守礼門のみが残り、がっかりスポットと呼ばれるようになったらしい。首里城の展示自体にことのことは触れておらず、同様の遠慮が垣間見えた。

緑やピンクに縁どられた黄色の文字で「沖縄」とでかでかと書かれたガイドブックが僕らをミスリードしたのかもしれないが、そこは想像していたのとは少し違う雰囲気だった。僕自身が想像通りのものを金で買うことだけでは満足しきれなかったのかもしれない。「沖縄が好きだ」とか言っている内地の人はいささか能天気で幸せな貨幣経済の奴隷ではないかと思う。金と引き換えに、想定した通りの型にはまったパフォーマンスを要求する貨幣経済の文化に違和感を感じる方がおかしいのは重々承知しているはずなのだが。帰りの飛行機で山下達郎のニューアルバムを一通り試聴し、なんだか涙が流れそうになってしまった。

横光利一 『機械』 を殺しの告解として読む 

機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)

機械・春は馬車に乗って (新潮文庫)

横光利一『機械』を以下の観点から、解題していこうと思う。
1、内発的な感情が欠如する「私」
2、信用できない記憶と視点を持つ語り手としての「私」

1.「私」は怒らない。そもそも、行きずりで知り合った人に紹介された職場で働き始めてしまうフットワークの軽さが普通ではないが、それ以上に軽部との喧嘩の際などに怒るということをしない。「面白み」、「尊敬」や「親しみ」を感じるという記述はでてくるものの、怒りをあらわにするようなことはない。また、「親しみ」や「尊敬」は工場の主人や屋敷が持つ魅力によって引き出されたものである。怒るべきと思われる場面では、自らの相手の行動や言葉に対して自らのとるべき行動を細かく説明し、それが心理描写の代わりとなっている。このことは、心情というよりは現状の論理的解釈というように思われる。このことは本作品の最大の特徴であると思われるが、「機械」という題名にどう関係してくるのだろうか。ちなみに、作中に出てくる町工場は機械を作る町工場ではないし、薬品を用いる工場であり、大規模な機械を使用しているわけでもない。
一つには、心理状態というのは、人間関係によって論理的に決定されるものであり、内なるものではなく、外的な刺激によって発生するものだと仮定してみる実験ととらえることができるのではないだろうか。人間は外からの刺激で何か反応を示すブラックボックスのような存在だとすれば、すなわちそれは「機械」である。また、「機械」である人間をさらにおおきな構成をなす存在の一部品とみなすならば、社会こそが、部品と部品が組み合わさってできる大きな「機械」ではないだろうか、という仮説こそがこの小説の実験性であろう。

それからの私は化合物と元素の有機関係を験べることにますます興味を向けていったのだが、これは興味を持てば持つほど今まで知らなかった無機物内の微妙な有機的運動の急所を読み取ることが出来てきて、いかなる小さなことにも機械のような法則が係数となって実体を計っていることに気づきだした私の唯心的な眼醒めの第一歩となってきた。

中央公論社 日本の文学37巻 『横光利一』昭和41年 313頁より

この部分はこうした機械と心の関係に対する「私」の考えを端的に表していると思われる。では、「唯心的」とはどういった内容を指すと考えられるだろうか。
 
2.この小説は「私」が経験したことや考えたことを主観的に述べた文章によってのみ構成されている。実際この工場で何が行われていたかはよくわからない仕組みになっていることが特徴としてあげられるだろう。たとえば「私」が実際に軽部からいやがらせをうけていたかどうかは、軽部の視点(もしくは神の視点)からの著述がなければわからない。私の思い込みかもしれない。また、「私」は夜中、屋敷が暗室から出て、妻の寝室に入り込むのを目撃したが、実際妻の寝室に入り込んだのは主人であった。しかし、主人は暗室から出てきた事実はないと言う。極め付けは「私」の記憶のあいまいさによって混乱のうちに終わる結末である。動機や物理的な可能性から考えれば「私」にも殺人の嫌疑がかけられて当然であり、しまいには自分自身が何をしたのかわからなくなってしまう。

だがこの私ひとりにとって明瞭なこともどこまでが現実として明瞭なことなのかどこでどうして計ることが出来るのであろう。それにもかかわらず私たちの間には一切が明瞭にわかっているかのごとき見えざる機械が絶えず私たちを計っていてその計ったままに私たちを押し進めてくれているのである。

同上書 324頁より

 そこで、以下のような仮説を立ててみた。実際のところ、「私」は屋敷を殺している。軽部が犯人だとは思わないと断言しているにもかかわらず、その理由が自身にも殺す動機と手段があったからだという消極的なものだというのがそう推測できる大きな理由である。「私」は読者に自分が屋敷を殺したことを隠しており、その隠ぺいと弁明がまじりあった告解としてこの小説があるのではないだろうか。告解であることを意識すると、「私」は小説の結末の時点に立って冒頭から最後まで回想するような時制で語っているにも読め、軽部に無抵抗だったという話や、軽部と屋敷に殴られたときの心情の説明などは言い訳めいたものを感じることもできるだろう。?でのべたような、内的な感情の欠如も、「他者に〜されたのでいろいろと逡巡したうえで〜した」というような弁明のための表現として読めてしまう。それゆえに、「私」が世の中を支配する機械的な作用を信憑していることから、自分を追い詰める正義の強迫観念として機械の先端がにじりよってくるのを感じているのではないだろうか。そう意識するだけで、あれほど「論理的」だと思われていた「私」が突如として何かを隠ぺいしようとしている愚かな人物に感じられはしないだろうか。

殺しの告解としては隠ぺいの意図が入り込みすぎていていささか中途半端なものに思われるが、こう読むことによって、「私がやりました」とは素直に認めきれない人間臭さが機械的な思考の網の目から遊離してくる点が非常におもしろくなるのではないかと思う。

コーマック・マッカーシー 『ザ・ロード』

ザ・ロード (ハヤカワepi文庫)

ザ・ロード (ハヤカワepi文庫)

最近はアメリカの小説家の作品か、アメリカを舞台にした作品ばかり読んでしまう。その場合のアメリカとはアメリカ合衆国であり、南北アメリカ大陸でもある。この小説をよんでやはり僕はアメリカを舞台に語られる物語を読み続けていきたいと感じた。明治維新後の重層的な連続性を失った平面的な日本の歴史は、言い換えるならば稲の穂にトマトを指し木したような不連続性をはらむ歴史は、ヨーロッパというよりは、アメリカのそれと非常によく似通っている。そのために、近代以降の国民国家というパラダイムの中で日本にとって必要だと思われる問題提起はやはりアメリカ的なのである。不連続な歴史の先輩であるからだ。単純に、読んでいて無国籍な感じがするという理由もあるかもしれないが。

さて、本作品はそうした歴史を完全に失った世界を仮定し、荒廃したアメリカ大陸(と思われる場所)を旅する親子が描かれている。気温が下がり、植物が育たなくなり、食糧がなく、数少ない生き残った人々は飢え、もしくは人を食べたいという誘惑と戦って生きている世界である。人に見つかれば殺されて食われるという危険性から、父子は人目を忍ぶことと食糧を収集することのみを目標に南へと旅してゆく。父子の信条は人を食わないことであり、彼らはそれを「善い者」という言葉で表現する。しかし、彼らの食糧はすべて廃墟となった家々に残っているものを拝借することによって賄われており、すなわちそれは死者からの略奪を意味する。「善い者」と「悪い者」の間に何の違いがあるのだろうか。父子は一見生きる意味を見出せない世界において、「人を食わない」というただ一つのルールを課している。ルールは道(それはタオであり、ロードでもある)となり、荒野をさまようだけの人生に一筋の道しるべと意味を与えているのだ。

本作品では、最後まで世界が荒廃した経緯や、人口が激減し、人が人を食うような(女子供は家畜同然に扱われる)世界へと突入した理由は明示されない。父や子に名前はついておらず、おとぎ話のような普遍的な物語としての性格が強い。それゆえ、我々の今の状況では、放射能によって汚染された後の世界の物語としても読めてしまう。荒廃した世界で我々は何を思いどう行動するのか。淡々と語られる描写が、それは父子の行動の描写でもあり、世界の情景の描写でもあるのだが、だんだんと精度を増して的を絞ってくる矢のように我々ににじり寄る。「フクシマ」について少しでも何か考えたことがある者ならばだれしもが何か思うところがあるだろう。解説で小池昌代という人が、荒廃した世界では人びとは表現する手段としての言葉を失う、と書いていたが、僕は「死の町」発言で大臣を辞任させた我々は今、比喩を比喩としてとらえられない段階にあり、まさしく言葉を失った状態にあるのではないかと考えていたため、このタイミングでこの作品を読んだことに一種の恐怖すら感じた。

母が2ちゃんねるをチェックしているらしいとうことを最近知った。実家のマンションのスレなるものをちゃっかし見つけてしまったらしい。夕食後、出し忘れたぬかみそのカブを刻みながら「このマンション、30代のお医者さんだとかIT関係の人が多いみたいなのよ、やっぱりうちみたいな50代夫婦は浮いちゃうわよね」などと言っていた。父は隣の部屋で学生時代に録音したオーネットコールマンのカセットテープを聴きながら眠りに落ちようとしている。反対側の部屋では妹が高校生活最後の定期テストにむけて徹夜の態勢を整えていた。僕はといえば、夜の散歩からの帰り道、マンションのロビーで腕を組みあう30代のお医者だかIT関係だかの夫婦を目撃し、ここ1週間東京の実家で経験した地震の数を数えていた。はたして、世界は荒廃へと(エントロピーの増大とか言ったりもする)向かっているのだろうか。

小説の話に戻ろう。現代アメリカ小説界の巨匠ともいわれるコーマック・マッカーシーの作品を読みとおしたのは今回で初めてだったのだが、もう何作品かチェックしておきたいと思う。巨匠といえば、ティムオブライエンの小説にトーマス・ピンチョンを名乗って若い女性と結婚にこぎつけて失敗する富豪の話があったが、むろん日本では小説家など、どんなに有名な人物とて名乗ったところで見向きもされないだろうから(水島ヒロや石田依良などは除く・・・とすると作品の質と名声は反比例するということだろうか)、小説家が職業として一定の地位を得ている土壌に日本との違いを大きく感じる。最後に、父が子に偶然見つけた世界最後のコーラを飲ませる描写がひどくせつなく、最後に出てくる川鱒の背中のきらめきの描写までが、炭酸が舌の上ではじけているかのような軽い痛みに満ちていたことを付しておきたい。

電話

僕は電話がとても嫌いです。何をしているときでもこちらには覚悟がないままに突然かかってきて、突然しゃべりかけてきて予定だとか生活を邪魔するし、シカトしようにも無視できる理由がさしてないのですぐにばれてしまうし。かけている方は覚悟をする猶予が与えられているので、流れるようにしゃべることができるにもかかわらず、相手より一段上に立って、相手の生活を邪魔しているという意識が薄いと思います。正しい言葉使いだとかは相手にも同等のものを要求するわけだからそれは相手に配慮しているということにはならないでしょう。今朝も妹が録画したドラマを見ているのを横から見ていたら、一番のクライマックスとおぼわしきところで、母親あてに証券会社から電話がかかってきて、ドラマには集中できないし、突然何も考えていなかった運用の話を何の準備もないままにしなきゃいけなくなったし、なんだかいやな気分になりました。生まれ変わるなら、できれば電話のない世界がいいですね。

 『東京公園』 『奇跡』

高校時代の友人と一緒に池袋文芸坐で映画を見た。文芸坐には初めて行ったのだが、いまどき珍しい入れ替えなしの映画館だった。東京の映画ファンにとっては常識なのだろうが。オールナイト上映イベントも豊富にやっているみたいだった。

1本目は青山真治氏の『東京公園』。『サッドバケイション』以降の最新作だというから、僕が彼を知ってから初めてのリアルタイムでの公開作品。また長ったらしいかもしれないと思って覚悟していたのだが、時間としてはざっくり短く終わった。ショットの構図、切り替わりのスピード、タイミングともに洗練されていて、映画を研究しつくした氏らしいだった。氏は一貫して劇ではなく、映画を撮りたいのだろう。脚本がかなり大雑把でセリフもかなり歯がゆく、鼻につく言い回しが多く、細かい部分は撮影とともにリアルタイムで決まっていったような雰囲気だった。終わり方の尻切れトンボ感も映画好きのためのシナリオ。その辺も含めて映画、どちらかといえば小規模な予算のヨーロッパ映画らしい。音楽がいつものバキバキのギターサウンドじゃなかったので、ちょっと意外。スポンサーとかの関係かなと思う。。X-knowledgeの平野啓一郎編集の巻、「パブリックスペース」というキーワードが扱われている、に寄稿した文から構想を広げていったらしいが、パブリックスペースはここ最近僕の中での注目ワードの一つなのでちょっとチェックしておきたい。デジタル撮影の処理のせいもあるのか、画の色味だとかセットだとか、前述のショットの構図と切り替えポイント以外の部分でなんとなく細部にこだわりきれておらず、よくある短期間上映のゆるふわ映画と勘違いされてもおかしくない出来なのはおいといて、榮倉奈々はミスキャストだったとおもうんだよな。

2本目は是枝裕和氏監督の『奇跡』。こちらは僕の好きなドラマが描きたいタイプの監督で、『誰も知らない』以降の作品は全部チェックしている。青山氏が個人を強調するのと対照的に是枝氏は今回も家族を描いている。前作の設定は僕の家庭環境と丸かぶりしていたのでその分を差し引くとして、今作も期待を裏切らない盤石のつくり。特に日本人の生活がリアルに描かれていて、いつもながら観察眼がすごいと思う。外国人に現代の日本人の生活がよくわかる資料を見せてほしいと言われたら是枝監督の作品を見せるつもりだ。また、夜明けの新幹線の高架沿いに軽トラを走らせるシーンはコンテクスト関係なく、映像としてグッとこみあげてくるものがあった。強いて言えば、メロディアスすぎるくるりの音楽が映画にしては少し五月蝿いといったところだろうか。離婚によって引き裂かれた兄弟の話なのだが、子供たちのひと夏の冒険の熱量やそれに付随して老夫婦の間におこった昔話のようなやさしい「奇跡」が落ち着いた後に残る、十数年後の兄弟の反目を匂わせるような冷たい空気感がせつない。テーマソングは偶然いただいたチケットで春に行ったくるりのライブで初披露されていたもの。奇しくもそのライブも同じ友人と見に行ったんだった。雨が降っていて、まだまだ肌寒い季節だった。



帰りの電車ではニール・ヤングのアルバムは何から聴けばいいんだろうかということについて調べたが、結局よくわからなかった。今年も、30度を超える日々はもうそう長くは続かないだろう。

 高野文子 『るきさん』

るきさん (ちくま文庫)

るきさん (ちくま文庫)

女性が人として描かれない時代というのはまだ20世紀がうら若く希望に満ち溢れていたころのことで、そんなのはとうに昔のことだ。しかし、その後の社会において男性は生産者として、女性は被生産者もとい消費者として描かれることが多いように思う。ドラマの脚本とかは典型例だし、女子はファッション誌を読むものとされてるし。(全く関係ない話だけれども、日本のファッション誌ってなんであんな自信過剰で押しつけがましくてダサいんだろう。雑誌ごとの基準でデザイナー選んでそれぞれのラインを季節ごとに紹介して、各誌なりの解釈を提示して、スナップでストリートとの関係を示しましたけど読者さんはどう考えますかって投げて、それがまたストリートに反映されるっていう双方向の方がおもしろいんじゃないしょうか。結局主要誌ってただのカタログになってるし根拠がないよね。同時代の美術を鑑賞する目が育ってない背景だと思うし、その結実としてきゃりーぱみゅぱみゅがクイァとして西洋で鑑賞されるのを指をくわえてありがたがってる現状があると思います。ま、それはそれで面白いから海外で評価されてるんだろうけど、見世物になってるのに気付いてない動物的な悲しさがあるよね。)

さて、女性が生産者として扱われないことが不当かどうかということはさておき、消費サイドからの経済の観察というのは現在でも主流ではない。経済理論を学ぶ際通常は消費理論から入門するが、これは生産に関する分析のための布石として用いられるにすぎず、実際の消費がどうなっているのかということに対してはかなり無頓着であるように思う。各時代において消費がどうなっていたのかということはデータに残りにくく、無視される理由のうちの一つになっているのだろう。資本主義において株式と情報がセットで公開されている以上家計簿よりも企業の会計簿の方がデータとして残りやすいしアクセスしやすいは当たり前だ。しかし、資料が残っているもの、アクセス可能なものがデータのすべてではない。そんなときに何気ない視線で同時代の雰囲気を反映した文芸作品は貴重な資料になる。

るきさん』は88年から92年にかけて『hanako』に連載された高野文子の作品である。彼女のキャリアの中では今のところ中期の作品といったところだろうか。特筆すべきは連載の開始と終了がちょうどバブルをまたいでいる点である。バブルのさなか、稼ぎもせず、消費もせずにささやかな趣味に生きる「るきさん」とバリバリ働いて流行のブランドものを買いまくる「えっちゃん」という二人の仲良し独身女性が対比されながらも日常を織りなしていく。世代としては団塊よりも少し下の僕の親世代。読書家だけどノンポリの「るきさん」の消費の仕方はミニマルで極めて21世紀的、原発食品添加物を嫌いつつもバンバン遊びまくるちょっぴりファッショナブルサヨク(左翼ではない)な「えっちゃん」は戦後20世紀的なのだけれども、独身女性がきままに生活を送りつつも、携帯電話やパソコンはなかったりして、とてもゆるやかに変化する時代の中に2人はいる。作品は「えっちゃん」からの視点を通してちょっと世間を超越しているように見える古くて新しい「るきさん」を観察するというスタイルが連載ひとケタ台で確立し、その調子で最後まで進んでいく。両者を対比させながらも「えっちゃん」をマジョリティとして設定し、非対称的な関係に持ち込む高野氏の観察眼は素晴らしい。時代は高野氏の暗示どおり、完全にえっちゃん的にもるきさん的にもならずに、えっちゃんがるきさん的な生き方を羨み、無理して真似するというスタイルが定着しているように思う。いいな、いいなと羨みつつも最終的なオチ、ひっそり貯金してイタリアでのんびり生活を始めるというるきさんの最後のオチを実際に追遂できる人が現在どれだけいるだろうか。この先どうなるかはわからないけれども。

高野文子の作品はこれで全部読んだことになるのだが、彼女の描くバイクは最高にかっこいい。自転車屋さんが乗ってる(オイルまみれの自転車屋が乗っているというところが重要なのだ)カブの丸みというかツヤというか、最高。カブの見るまなざしが僕が生まれたころ、昭和と平成の連結部分、成長と維持(停滞だと勘違いされていた)のはざまの雰囲気を21世紀においても実感させてくれる。ネオサザエさん

[書評] ドン・デリーロ 『ボディ・アーティスト』

ボディ・アーティスト (ちくま文庫)

ボディ・アーティスト (ちくま文庫)

『ボディ・アーティスト』において主人公宅に出没するタトル先生(関係ないが、映画『未来世紀ブラジル』に管理社会のノイズとして同名の登場人物が出てくる)はその家の内部で聴いたものを正確に記憶し、記憶したものを(波形まで記憶し声まねをする)ランダムにアウトプットする。ここで彼は、自己同一性を持たない生身の機械として描かれている。自己を認識しないタトル先生はその証拠に排泄や食事等、自己を保存する手段について何も関心を示さない。社会的には精神の病だという認定をうけるはずだが、不可解な理由で夫をなくしたばかりの主人公は夫の記憶への窓口としてタトル先生にすがる。それは、全ての記憶に対してニュートラルに開かれた扉、自己同一性からの解放への窓口でもあった。しかし、タトル先生とのコミュニケーションの中で記憶と記憶のつながりを撹乱され、また忘れていた記憶がよみがえる(存在しなかった記憶が出現する事に等しい)うちに主人公はタトル先生とは逆に身体への関心を加速させていく。そして、最後にこう気付く。

彼女は部屋に入り、窓のところへ行った。窓を開けた。窓を勢いよく開けた。自分がなぜそれをしているのかわからなかった。彼女は海の刺激を顔に感じたかったのだ。それから時の流れを顔に感じたかった。自分がなにものかを語るために。
(204頁)


人間は、ある一時点における現象を視覚、聴覚、触覚などの五感を使いながら把握、体験する事ができる。そして、体験を記憶する。しかしながら、変化を把握する事はできない。変化、時間は人間にとって不可逆的な存在であり、時間や変化を把握するということは人間にとって記憶と記憶の関係を結びつけることでしかない。ある一時点の記憶とある一時点の記憶の関係は一人の人間の中で混濁し、前後する。これは、影絵のようなものである。影として映ったものしか目にする事ができず、元の存在がなんであるかということを知る事はない。

ここに、客観的事実はない。映写された影を元にしてどういった像を想起するのかは個人の間で千差万別であるというような言い方もできるが、もとより、もとの実像を観測する術がないので存在しないのと同義である。観測されないことは、時として事実であるが、客観的事実として共有されるべきものは今日、観測可能な現象に限られる。

個人Aはア→イ→ウという流れを記憶と記憶の関係として認識しているとする。しかし、個人Bの中ではウ→ア→イという記憶と記憶の関係がある。この時、どちらが正しいということはない。理由の一つは客観的事実が観測不可能であるからであるが、加えてAとBは同じ関係を共有していると勘違いしているとも考えられる。つまり、認識のズレすら観測することができないのだ。個人は自分が持つ記憶と記憶の関係に何も疑問を差し挟む余地はない。なぜなら、客観的事実として観測不可能であるから、暫定的に確定させなければキリがないからだ。記憶と記憶の関係性を疑い出す個人が分裂症的な傾向を発症するのは必至である。

AからYまでの個人が複数の同じ一時点の事柄に対して同じ記憶と記憶の関係を頭の中に位置づけており、個人Zだけがそれとは違う関係で物事を把握していたとしても、健康な人間にはそのズレを指摘する能力がない。なぜならば、特に留意がない限り、ZがAからYまでと同じ事実関係の認識を持っていることが合意されているからだ。認識のズレが何かの拍子に認識された時、議論、もしくは病名の付与、刑の執行、共同体からの排除等が起こる。

事象と事象の関係を結びつけて理解するのは合理的把握能力である。例えば3秒間のうちに、ある時点で猫が屋根の上にいるのを見、ある時点で猫が屋根から飛び降りるのを見、ある時点で猫が地面を歩いているのを見たとき、人間は合理的把握能力によって3秒の間に猫が屋根から飛び降り、地面を歩いているのだと考える。つまり、ここに時間の概念が生まれる。3秒間のうちに猫が屋根から飛び降りた後で猫が屋根の上におり、次の瞬間に猫が地面を歩いているという順番に解釈することはまれである。なぜなら、経験的な物理法則を考慮した時、こういったことは起こりづらいと考えられるからだ。こうした合理的把握能力の特徴の差、事象と事象の関係を結びつけて把握する能力の癖が個人の個性として遊離してくる。個人が独特の個人たる理由はここにある。合理的把握能力は後天的な経験から形成される。例えばこれをロックは「労働」と呼ぶ。(これは一般に我々が使う「労働」やマルクス主義的な「労働」とはかなり意を異にする。ただし、イギリス系の思想家には、後天的な経験から導きだされる合理的把握能力の個人差はかなり少ない、もしくはランダムなサンプリングではばらつきがあるが、合理的判断が似ているクラスタ同士を分類していくと、変化はグラデーション、漸次的になっていると考えている人が多いようだ)経験によって合理的把握能力が形成され、合理的思考が経験をアレンジしていく、という相互作用が実際のところなのだろう。

変化や時間の不可逆性は個人に個性、自己同一性を与える。例えば、同じ本を読む人は多いが、全く同じ言葉を摂取したとしても、いつ読んだのか、どういった環境で読んだのかといったことで咀嚼の仕方は全く変わってくる。それにに¥は形成された合理的把握能力とそれまでの経験が大きく関係している。環境は常に変化しており、同じ言葉を摂取することはあっても同じ環境、経験を持った状態で同じ言葉を摂取する事はない。時間が可逆的であり、それゆえ全ての経験が並列ならば、経験の有無のみが問題となるはずだ。しかし実際のところ経験は、ちょうど音程のように、前後に起こった事、同時に起こっている事柄の間で、同じ現象であってもある一時点の印象はさまざまな役割を果たす。そうして一つの固有の現実が立ち上がってくる。

我々が時間というものを経験する中で、どれだけの神話をそこに組み込んでいくのか?
(163頁)


立ち上がった一つの現実は身体に固着する。それゆえのボディ・アーティストという設定であり、自分以外のなにものにもなれない事に主人公は芝居を通して気付いてゆく。

ところで、本作品をバベルの図書館と比較する事も可能であろう。途中、タトル先生は未来を予言する科白を吐く。(あとになってそれが予言だったことがわかるのだが。)似たような事、同じ事は日々、世界のどこかで話されている。言語的な全ての組み合わせは、言語的に全ての意味を作り出す。これはちょうどバベルの図書館と同じ状況である。しかし、時間に対して不可逆的な身体が言語的な意味とは別の事実関係、意味を生み出す。そして、身体を通して個から逃れられない事実を身体の牢獄としてではなく、あらゆるものがデータベース化される社会からの最後の救済として描くことで、この物語はボルヘスの提示するニヒリズムを乗り越えているように思われる。

時間の不可逆性と経験というテーマは経済学においても重要なトピックであり、ムーアやケインズの確率論や行動経済学において指摘される効用関数に対するノイズの問題に引き継がれている。僕自身の最近の関心(経験と判断によって生み出されたコンテクスト)に即して言えば本作品は、ロックの所有権に関する興味を深めてくれるものでもあった。 ドン・デリーロアメリカ人だが、アメリカ人の考え方に対するイギリス哲学の影響を改めて感じざるを得ない。一方で本作品は非常に汎用性の高い、個人の関心が如実に投影される作品であろう。現代アート、日本の古典芸能の関係、ペルソナ、電話やレコーダーといった機械が我々の生活にもたらすこと、ライブカメラで遠くの出来事を共有することの意味等さまざまなフックが用意されている。

著者は往々にして「詩的な文章」だとか「透明感のある美しい文体」という文句で宣伝されるが、翻訳を読んだだけでこのような評価を下すのは不遜であるし、原文に触れたとしても、それまでにかなりの量の原書に触れている人間でなければその文章が詩的であるか、とか、透明感があるか、とかそういう判断はできないはずだ。これは翻訳作品全てに当てはまることである。しかし、そのことについてあえて一言付しておくならばこう言えるだろう。本作品は全体を通して前後で様々な部分がリンクし、また途中差し挟まれる複数の立体的な視点もあいまって一種のゆらぎのような不安感を醸す一方、内部で全ての整合性が整っている、という面で非常に精緻である、と。それはまるで閉め切った部屋の中でも複雑に動きながら釣り合いを保つモビールのようだ。