スウェーデンの木の実ももがれる

まずは日曜日に行ってきた渚音楽祭の話題から。負傷して行けなかった先輩の代わりにたてた代役の踊りが、うつむいて直立不動のまま指だけを高速でモジャモジャ動かすというもので、めちゃくちゃ気持ち悪くて、というより怖くて、完全にクスリきまってる人の動きで、明らかに周りから避けられていたというのはさておき、シンハービールを飲みつつ感じたことは、日本のDJにもうちょっと60’s、70’sのソウルやファンクをミックスする人がいても良いんじゃないかということ。デジタリズムダフトパンクも同じ曲を三回以上聴いてうんざりだったし、夕方頃にマドンナだとかくるりだとかジャクソン5だとかすごく陳腐かつ無難なのを回していた情景が逆に印象強く残っているくらいだから。RAJRAMがビートルズやポリスをかけて謳わせようとしていたけれど、ポリスのポの字も知らないようなギャル男がたくさんうろちょろしていたせいでそのもくろみは失敗に終わっていた。

トリの渋さ知らずオーケストラは素晴らしかった。ギターアンプが壊れてベストギグとは言えない出来だったのに素晴らしかったということは、まさしく素晴らしいグループであるということだ。午前中、ハウスのブースでバレエみたいな変な踊りをしている人がいて印象に残っていたのだけれど、その人がダンサーの一人として全身にドーランを塗って全裸で出てきたのにはびっくりした。顔があまりにもきれいなので最初女性なのかと思ったら、男性だった。相当の筋力がないとできないような、甲殻類のようなダンスをずっとしていて、にもかかわらずしなやかで顔としなやかさに惚れそうになる。不破さんがベースを弾いていて、管の数は少なかった。朝からズンズン電子音ばかり聴いてうんざりしていたために生の音の良さに気付く。そういう追体験をさせるためのオーガナイザーの側の仕掛けだったのだとしたら巧すぎる。意図を理解させるには追体験させることが重要なのかなと思う。

でも、行ってよかったと思ったのは、途中でちょうど管の三人が同じ音を30秒くらい吹きっぱなしにしていた瞬間、ダンサー達があられもないポーズをとり、月、満月がしっかりとあがり、一人のダンサーの足もしっかりと上がり、不破さんはタバコに火をつけながらベースを弾いていた瞬間の、ものすごい感情の波が襲ってきた瞬間。音で涙が出そうになるのかと思った瞬間、本当に生きようと思ったし、これはあまり言いたくないけれど生きてるってすごいと思った瞬間。今までのバカな思索が恥ずべきものに思え、大きな間違いを許して欲しいと思う瞬間。それがあったということ。今までにそれほどの至高の感覚を味わったことは無かった。さめやらぬ、バスに乗ってもさめやらぬ時があり、フランス語を話していた女性のポーニーテルの先が頬にあたろうともさめやらぬ時があり、高音の聴覚を失った僕らは老人のような態度で会話をしながら帰った。

一般教養の授業で最近予期せずに良い先生ばかりに当たっていて、とても幸せかもしれない。今日の経済のゼミの先生は知恵の泉のようなまさに僕が探していたタイプの先生で、経済というタームを(今期のテーマは「commons」というタームであるが)法的解釈からギリシャ神話まで、ケンリッヂから軍艦島郵政民営化、ウィーンの酒場などさまざまな道具を使ってスキゾに横断的にしゃべくっていて、久しぶりにウキウキした。

そして、ここのところ一週間くらいまじめに経済学部への転部を考えていると言うお粗末な状態です。春先にはあんなに意気込んでたフランス語とかにもいまいち興味が持てなくて、やっぱり人の感情やどうやったら人が幸せになれるのかとか芸術や哲学がどのように人の社会で役割を果たしていったら良いのかだとかそういうことは経済学的手法で研究したほうが良いのではないかと思い始めています。文化経済学だとか、広告などのメディアアートと経済の関連や環境経済や経済倫理だとかそういうことをやるのに僕の大学は悪い環境ではないみたいだし。マクロだけやってても良いらしい。シンクタンクにも興味があります。台風待ってます。orbitalいいな。そしてバーコード風にしつらえた今日のグーグルのロゴもいい。

追記:デヴィ夫人のブログがおもしろい。絵文字の使い方等々も含め。