すぐ消えそうな動画に関して、ささっと書いた。そりゃ、光をあてられたゴキブリみたいにね

小沢健二研究家としては涙が出る思いです。良い動画がいっぱいあがっています。
まずは徹子の部屋より。髪もぼさぼさでかなり憔悴しきっている。黒柳徹子を前にして、珍しくテレビで本音に近いところを語る小沢健二、そこからまた離れる小沢健二渋谷毅、川端民生とのライブは片鱗を聴くだけでもせつなくなる。わざとオタクみたいな格好をしているのもきちんと狙ってのこと。そのへんも含めて素晴らしい。(オタクみたいな格好に関してはこの前東京事変も同じことしてたけど)

次は最近死ぬほどつまらなくなったという噂のうたばんから。途中で見せるコードに関する知識はさておき、buddy演奏後に、彼がわざとB面に持ってきた「恋しくて」を二人に聴かせるところ。曲のできに対する自信半分、愛だの恋だのをふざけずに歌ってしまうことの薄ら寒さに対する気恥ずかしさ半分という表情と、(それがこの曲をB面にした理由でもある)「恋しくて」が思いのほか良い曲で一発でかっ飛ばされてる両脇の二人。それを見て心の中でほくそ笑む小沢。この二人に遊ばれないほどの我を見せるのは難しいことだ。

今日再び中古レコ屋のバイトの面接に行く。エルメート・パスコアルやミルトン・ナシメント、アジムス、ムタンチスなどをチョイスしてライナーを5本ほど書いていった。ライナーは褒められたのだが、店長のおじさんが煮え切らない感じで「この店で何がしたいの?」とかよくわからない質問をされる。答えに困ったので、「例えばグラミー賞にノミネートされるようなアーティスト、それはコーネリアスのことだけではないですが、そんなすばらしいアーティストたちの楽曲がきちんと大衆に評価されるような世の中にしたい、チャートの上位にきちんとそれらが食い込んでいて、チャートの内部で刺激が起こったりして、社会の変容と音楽が連動するような、そんな世の中にしたい」と言った。例えば松田聖子とかだって、楽曲のレベルの高さと歌唱力で言ったらものすごいものがあった。飛ぶ鳥も落ちるような。でもそういう状況は小沢健二が売れたあたりで最後だったような気がする。彼以降、チャートのトップ10に食い込むアーティストで見るべきものがあるのがいったいどれだけあったか。あれだけビルボードのチャートばかり気にしていた細野さんでさえ、チャートが信用できなくなったと言っていた。リスナーの耳が肥えて再びチャートの信憑性が復活する日を僕らは迎えなくちゃならない。そしたらきっと彼も戻ってくるはずだから。

レコ屋のおじさんは「で、具体的には何ができるの?」と尋ねてきて、やっぱり僕は何も答えられなかった。