お腹がすくまで図書館にいよう。

洗濯物を干してから三時までにフランス語の宿題を出しに行かなければならないが、ここで進まないレポートを進ませるために現状を再認識させる。

まず、自分の中での今年一年間のテーマ設定。関心事は二通りに別れる。一つは消費構造について。マーケティングとかそういうことではなく、もっとメタな部分において消費は何かということ。世界は消費によって成り立っている。突き詰めれば「欲望」というタームにぶち当たると思う。つまり、世界は欲望によって成り立っている。欲望の構造、欲望と消費の構造の分析。購買とは何か。購買による充足とは何か。これは資本論一巻を読む上であぶり出されてきた問題である。これに関してはどんなテクストを読み、どんな考察を行って行けば良いのだろうか。わからない。

もう一つは現代における実現可能な新しくてぬるくて幸せな社会システムについて。この問題は今までちらちらとカスカスのカルメ焼きのような知識を詰め込んできた現代思想および社会学の文脈をさらに発展させるという意味合いにおいて問題意識がある。例えば、東浩紀が最近主張しているルソーの一般意志2.0を題材にして、せっかくフランス語をやっているのだし、ルソーとあずまんを並列して遡行していくというような行為もできるだろう。また、例えば、ルーマンの社会システム論やヴェーヴァーを読みこなし、准社会学的なアプローチをすることもできるだろう。

そして、この二つの問題はひっそりとつながる。ポスコロやカルスタとは別の形の社会学、経済学的アプローチ、それも金融等の数量的なものではなく、「満足」等に関する経済のメタ理論を背景に社会システムのバグを分析、指摘するという社会学の形態である。消費や社会システムに関しては広告論やメディア論も重要であるが、テキストとして読んでおかなくてはいけない著作はたくさんあるものの、(マクルーハン北田暁大など)0年代までにかなりやり尽くされた感もあるので、僕がやる必要は無いだろう。

前者はメタな問題であり、後者はそれを現実世界に引き下ろしたとこにある問題だとも言えるだろう。


資本論のレポートに関しては柄谷行人マルクス、その可能性の中心」を種本として価値形態論を論じるか、それとも独自に物神性の部分に着目して欲望と消費の観点から価値形態論の横のつながり(アリストテレスが指摘している方)を巻き込んで論じるか、その場合本は何を参考にするか、アリストテレスか、それとも廣松渉を参考にするか。これは一つ一つやってみる必要がある。

第一次世界大戦と芸術のレポートに関しては「大きな物語の終焉」をキーワードに論じようと思うが、現代と100年前の状況の対比と類比によって文章を構成しようか、パウルクレーという画家に関する分厚い本(読む気がしない)を借りてきたのでそれを参考に、価値観の瓦解というテーマについて書こうか迷っている。ストラビンスキーは文献が多すぎるし、主にバウハウスや抽象画それ自体の方に記述が偏っている事が多いので、第一次世界大戦に近づけるには無駄が多いし、当初題材にしようと思っていたフランツ・マルクに関しては文献が少なすぎる。

フランツ・マルクは中期から後期にかけてのキュビズム的な手法を用いた絵が取り上げられるが、彼の最も美しい絵は印象派の流れを汲みながらも写実的だった初期の動物の絵であると思う。ちょうど、ポラリスのアルバムのジャケットのような絵で、あのバンビなどは恒久的に人々に見られるべき美しさだ。

パタゴニアには巨人がいるという噂をききつけてからというもの、パタゴニアに行きたくなり、調べてみたところ、「パタゴニア」という紀行文の傑作品があるらしく、読みたくなったが図書館に無くて、ナボコフの短編集やル・クレジオの砂漠などを借りてくるも、小説にたいして興味が続かなくなってしまった事に気がついた。夜中にお酒でも飲みながらちびちび読む。



いとうせいこうが恒久的に口ロロにいるという事は無いと思うけれど。