スマップ微論

正月、慌ただしく鈍行列車で実家に帰り、世の中の都市にはIPodが必要な都市と必要でない都市の二種類があって、東京はもちろん前者だけど、そういえば僕のIPodは京都の市バスに吸い取られてしまったななどと思う。東京のどでかい本屋で立ち読みしながらIPodのシャッフルに身を任せるのは至高。

けれど、CDを調達したりする暇もなく、カウントダウンジャパンというイベントにチラッと行って紅卍(河合克夫と松尾スズキ)がのりピーネタからの流れで岡村ちゃんを3曲もかけていたの、(まさか、あんなどうしようもない漫画家に「へぽたいや」をあおられるとは夢にも思っていなかった)トータス松本がマディー・ウォーターやオーティス・レディングのカバーをしていてそれが素晴らしかったの、曽我部恵一のライブの一体感、爆笑問題の太田の妻のツイートが常軌を逸しているの、等を楽しみつつ、家族を車に乗せて無事故で伊東へ。

運転中、父親が積んだカウントベイシーのCDにいい加減飽きてしまったので、たまたま車にあったスマップのベスト盤を小耳にはさむ。実は小学生の頃、スマップとカーペンターズばっかり聴いていた。で、これが大穴。らいおんはーとのトラックがsquare pusherばりにアシッドで、開眼する。日本人きってのポップスファンクおじさん(と僕が勝手に思っている)スガシカオが作った夜空のムコウがブラコンっぽくていいのはもちろんのこと、セロリのリバーブとワウを組み合わせたようなバッキング音の処理とラテンなリズムトラックの組み合わせもなかなか面白いし、そのまま聴き続けていると、何度も何度もBig Waveが。

セロリや夜空のムコウ以前は、基本的にブリブリのディスコ。ベースラインとリズムトラックがかっこいい。ブラコンまでしっとりしているわけじゃないけれど、ある程度アーバンなファンク調のトラックに日本のアイドルが培ってきた超キャッチーなメロディがしっくりきていて、たまに歌詞もいい。「キめる時にキめるしか、Don't you know できないのが僕らさ」だなんて、そこらへんのやつが歌ったって、葉っぱでキめてるようにしか聞こえないのに、アイドルが歌うとやけにかっこよく聞こえる。ソウルの流れをしっかりと汲み取り、リズムボックスの出現などともあいまって、それを大衆性へと昇華させた80'sの良質な洋楽のポップスを(そのイコンとしてよくMJが取り上げられるけれど)日本のPOP、日本人の大衆性にまで結実させたひとつの形だと思う。きっと当時のスマップのスタッフたちは80'sディスコがすごく好きで、その大衆性、未来への展望が青天井な感じ、愛だの恋だの言って楽しくしていればそのまま日々を楽しく過ごすことができた時代、もしくはそういった時代へのイメージ(その負の面はバブルといういびつな形で後の世に、そして後の世の人びとの心に大きな傷を残すことになるのだが)が好きだったのだろう。ロックが世の中への不満を歌うならば、アイドルポップスくらいは明るく、優しく行こうじゃないかと、そういうスタンスだったのだろう。音楽性はBack to Backとかの頃の小沢健二にも通じる。

MJ亡き10年代、日本の大衆文化評論のホコサキは、スマップへと向けられるべきだと思う。公園を裸で歩くようなマヌケな真似をしても年末にNHKに出ている彼(ら)は評論するに値する価値を持っているし、評論に耐えうる文化を作り上げてきたはずだ。音楽だけでなく、テレビというメディアの最後のきらめきを演出したのだって彼らになるかもしれないし。

同様に現在の社会を分析するときに、エグザイルというのも重要なタームになってくるのだろうけど、電車で目があったら殴られそうだという感想しかいまは思いつかなくて、取り付く島もなし。

個人的には「しようよ」と「どんないいこと」が双璧をなしていると思う。「しようよ」は矢野顕子もカバーしてるらしいが、音源が見つからない。


今検索してて見つけたけど、このジャケット、ペットサウンズとthe verveのurban hymns の丸パクリで面白い。中身は全然知らないけれど。http://www.amazon.co.jp/Festa-SMAP/dp/B00005GXN7/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=music&qid=1262418396&sr=1-1



下からのぞくと、実家の部屋の窓からはマンションの屋上、避雷針しか見えない。残り95パーセントは黄色みがかった青空。山手線が止まっているらしい。京都だったら家から渋谷くらいまでの距離は自転車で行ってしまうだろう。こんなに晴れてるし。人間は道具を作り出し、同時に人間の行動は道具から決定されてるんだなと改めて思う。つまり、道具を作り出す時のエネルギーになる欲望と、それをかなえる想像力が一番重要。