ピアス論

ピアス。肉体を傷つける自傷的装飾。幼い頃の僕は全くその良さを理解できないでいたのだけれど、最近グッとくる耳のピアスに何度も出会いその美しさを痛感しているのです。とても小さなワンポイント、1ドットのピアスがきれい。髪のすき間から、耳という顔における僻地でちらっと光るそれは僕らの顔に対する視点を広げて、目や口元に集中しがちな視線を展開させ、全体的なバランスとしての顔の調和を保つのです。横に視線が展開することによって奥行きが生まれる、とでも表現できましょうか。同時に耳の曲線美を引き立てます。今日はコッポラの娘、ソフィア・コッポラの映画を見たのですが、ピアスがとても美しかった。マッチポイント以来のスカーレット・ヨハンソン。映画自体は日本、という国を客観的に眺めるには好都合のもので、80年代以降の日本のギョーカイカルチャーに浸かりきれない、どうも日本的論理が理解しきれない僕にとっては痛快なものでした。ちっちゃなクラブが出てくるシーンでは、きちんと電気グルーヴが鳴っていたし。

BBCが作ったジャクソン・ポロックのドキュメンタリーも見ました。名声は苦労して得ようと思います。というか、いくらジャクソン・ポロックがダメ人間だったとしても、彼の色彩が我々の視覚、引いては心に訴える生々しさ、戦慄というのの出所はなんなんでしょう。彼の絵になりたいとすら思います。

そして、ただいま酔っ払ております。4000円もおごってもらってしまい、泡盛とギネスビールをしこたま飲んで、この一ヶ月なぜだか如実に禿げてきていることを必死に忘れようとしています。すごく毛が抜けるのです。禿げる前に結婚したいと思う今日この頃です。