何もする気がない日には

今日は何もする気がなく、カレーをなめてはガレッジバンドをいじくったりニコニコ動画を漁っていたりした。
東浩紀の動画をたくさん見た。傾倒しかねない。あぶない。

後ろのほうで楽しそうに会話している女性グループと、手前で酒をめちゃめちゃにかっくらいながら世の中のシステムに対する恨みつらみだか思想や文学だかわからない気持ち悪い話をしているオタクたち。どっちが楽しいかと考えれば、きっと答えは明らかだろうけども、僕がこの先どうすればいいのかと考えると暗澹たる気持ちになる。


すごい。批評っていうのは好きな分野に対してするのではなくて、しなくてはならない分野についてしなくてはいけない、ということに気づく。嗜好によって彼らの研究の対象が決まっていると解釈するのは間違いかもしれない。いや、間違いではないけれども、それだけではない。

朝まで生テレビの動画もみたけれど、若い世代の論客ともっと上の世代の論客にはおおきな考え方の隔たりがある、と感じた。まず、上の世代の論客は現代のテクノロジーについての知識、巷でいったい何が起こっているのかということに関する知識があまりにも不足していると思う。そういう意味でにおいても、還暦過ぎたってオーディエンスを惹きつけてる細野さんはすごいと思う。

やっぱプラトンとかだけ読んどけばあとはロジックだけでいいのかなぁ。結局最先端のものっていうのは何かの焼き直しだし。現実社会のどの部分にどう適用していくとか、そういうことが必要か。だけど、実用的でないものも必要な面はあるし、それをどこかで守っていく必要もあるってあずまんも言ってたからなぁ。あー、もうよくわからん。取りあえず今日はアシッド・フォーク聴いて寝よう。