コンビニにおける消費構造の偏重とピクシーズ/タルド!タルド!タルド!

クンデラの小説を読んでから直接は関係ないのだが、世紀末のチェコやウィーンに注目している。人種の坩堝状態だった19世紀末から20世紀初頭のオーストリアでは人種に対して比較的寛容な政策が行われたため、ユダヤ人をはじめとして様々な人々が集結し一大文化が築かれていたらしい。ニーチェウィトゲンシュタイン、フロイド、カフカシュンペーターヘルマン・ブロッホ、それからヒトラーも。建築なども見るべきものが多い。マインツ書店(だっけ)とか。隣国ドイツが押し進める帝国主義へのアンチテーゼもあったのだろう。ラディカルな文化が形成されていた。東欧旅行も金の使い道の範疇に入れてみる。大阪でクリムト展もやってるらしい。
というわけで、世紀末ウィーンを代表する作品として、マーラー交響曲第五番


コンビニにおいて雑誌は集客に大きく加担している反面、たいがいは立ち読みで済まされて客はほかのこまごまとした商品を買って出て行ってしまうので、結果として割を食ってしまっているのではないだろうか。売れなくなったとはいえ、雑誌の需要はある程度ある。しかし、読まれるに耐える雑誌は何冊も出ているにもかかわらず、それらが次々と廃刊に追い込まれるという厳しい現状がある。雑誌を立ち読みで済ますというのは家計において節約しやすい所なのだろう。景気が悪化すれば一番最初にカットされる部分だ。加えて、今のところインターネットで無料の様々な記事に触れられるため、情報は金を出して買うものであるという観念が以前に比べてなくなりつつある。本にも同様な事が言えて、本の消費が減っているのは文化の醸成という面では確実にマイナスだと思う。知的財産の概念に関する教育も重要だと思うけれど、とりあえずコンビニのような集客目的で本を置いている店は、雑誌の売り上げ如何にかかわらず、出版元に対していくらかの支払いをするという制度をつくってもいいのではないだろうかとコンビニでPixiesを聴いていてなぜだか思った。

雑誌と言えば、アザラシアワーニジマスナイトの録音音源を聴いていたら、「16歳です、カメラ!カメラ!カメラ!が大好きです」なんて言ってる典型的なオリーブ少女が出てきて背筋がぞわっとした。それからしばらくして、今30を過ぎてこの人はいったい何をしてどう生活しているのだろうとか考え、さらにぞわぞわっとなった。でも、当時のオリーブ少女BLANKEY JET CITYライラックとかも聴いてたらしい。(最初聴いたとき僕はトモフスキーの曲だと思った)オリーブ少女と世紀末ウィーンのメンタリティにはどことなく共通する空気を感じる。でもってオリーブ少女は今現在、森ガールとか言いかえられてるらしい。緑がポイントなのかい?

今は「カメラ!カメラ!カメラ!」よりも「タルドタルドタルド!」って言いたい、いや、タルドとかちっとも読んでないけども。