レヴィ=ストロースにではなく、

レヴィ=ストロースが死んだらしいという噂を小耳に挟んだ後、高校のときに一度そういうデマにだまされたことがあったので慎重になっていたところ、友達の家で読んだ新聞でその死を知る。レヴィストロースに関しては、「レヴィ=ストロース(もしくは構造主義)を批判したフーコードゥルーズデリダも死んだのに、レヴィストロースだけがまだ生きてるってのが何とも言えない皮肉だよね」って友達が昔言っていたけれど、僕が思い出すのは中学時代、ジャック・デリダが死んだとき、当時の国語の教師が中間試験の模範解答の氏名欄に「じゃっく・でりだ」と書いていたことだ。僕はその日の帰り偶然寄った大きな駅の本屋の追悼フェアでその存在と死を同時に知った。それを機にそれまでとは違った観点から本を読み出す事になり、感じなければ良かったなと思うような事をたくさん感じ出すようになる。かの教師は今でもまだ中間試験の模範解答に「れゔぃ・すとろーす」などと書き、その存在と死の両立を生徒に知らしめているのだろうか。そんなことを思う。

フランス語の小テストが返却され、ぼろぼろ間違えていたにもかかわらず、准相対評価のような点数のつけ方だったために9割も点をもらっていた事に少しうれしくなり、持っていた傘の柄がこいでいた自転車の車輪にはさまってコンビニの前で大きくこける。7歳児みたいなこけ方をする。横をぶろーんと車が走り去ってゆく、親指の爪がめくれてじわっと内出血していて。

歴史観がまちがってるんだよ」なんつって憂国気味になってしまう人はきっと純粋な人なんだと思う。クボヅカ君然り。テレビブロスを立ち読みしようとして、コンビニの本棚を物色していたら女性自身の見出しに「窪塚洋介再びあのベランダで奇行」みたいなゴシップが打ってあってた。僕が初めてドラえもん以外の映画を面白いと思ったのが、小学生の時に白井君の家でみた「ピンポン」だった。もっと言えば「ペコ」というキャラクタだった。そんなわけで、おかっぱ頭があんなに似合ってて、あんな恐ろしい演技で僕を映画の世界に引き込み、そしてとにかくかっこよくて優しそうなクボヅカ君が僕は大好きなので、レヴィ・ストロースにではなく、ベランダで変な気持ちになりがちなクボヅカ君にくるりのThe Verandaという曲を聴いて欲しいなと思います。