そんな機能はいらない/スケボーシューズ

今朝は、女の人に刃物で刺される夢を見たおかげで運良く9時頃に起きれたので、久しぶりにバレーボールの授業に行く。先生が名前を覚えていてくれて久しぶりに来たことに対してうれしそうにしてくれたのでうれしかった。刃物はサンマみたいなやつで、かなり長くて鋭かった。後ろから刺されて、普通の夢だと刺されたところで起きて終わるはずなのだけれど、夢の中でさらに痛みが続いて、夢の中でも貧乏くさい僕は治療費の心配ばかりしていて、傷が腎臓には到達していないだろうと踏んで、病院に行くのをやめる決意をしたところで起きた。擬似的に痛みを作り出すなんて、脳にそんな機能はいらない。

午後は、ロフトでキッチンのタイルにフライパンを掛けるための吸盤やサム・クックのベスト盤などを買ってほとんどないストレスをさらに解消する。古着ばかり着たり見たりしていたら、完全に感覚が崩壊してしまい時たま服装が酷評されるので、古着から足を洗おうかと思って新品を見に行くが、値札には信じられないような数字が書いてある。帰り際にユニクロによってみるとユニクロの一部の商品と某セレクトショップの一部の商品がかなり似ていることに気付く。新しいフリースの柄はパタゴニアのデザインを完全にパクっていた。黒いエナメル靴はちょっと白かグレーのアクリル絵の具をボタボタたらすといい感じになりそう。

夕飯を食べてからひさびさにテレビをつけてみると、12チャンネルでいつになく神妙な顔つきのいとうせいこうが出ていたので吹き出す。その後、12チャンネルはテレ東ではなく教育テレビだということに気付く。教育テレビに出るなんてせいこうさんもいろんなとこで小銭稼いでるんだなと思って見ていると、ミヒャエル・エンデミヒャエル・エンデを前にして緊張のためにどもりっぱなしの初老のおっさんが対談をしていて、バブル崩壊前の映像だったのだが、人が言ってることいつも変わらない割には、人の言ってることは実現されないんだなと思う。その後チャンネルを回していると、とんねるずサンドウィッチマンの富澤の家に訪問し、新居をめちゃめちゃにするという「田舎に泊まろう」をパスティーシュした番組をやっていて、最終的に「田舎に泊まろう」とは異質の温かさを感じさせる仕組みになっていた。僕はこっちの温かさの方が好きだ。うまく説明できないけど。

笑いとは感情の共有である。テレビ、特にバラエティ番組のおもしろさというのは、僕らがタレントや芸人の人となりをどのように理解しているか、するだろうかということを制作者側が熟知して、視聴者をタレントや芸人がいる空間に引きずり込む番組作り、編集をするからだと思う。同じようなことは劇団にも言える。脚本家や演出家が、劇団に属している俳優の人となりを存分に引き出す本を書いたり、演出をしたりする。彼らのしていることは、例えば高校の昼休み、教室の後ろの方で昼ご飯を食べながらなんだかいつも笑っている連中の、その笑いを敷衍するという行為に他ならない。とどのつまり、人を好いていないと笑いは生まれないということである。

ゆらゆら帝国アメリカツアーで対バンしていたのはYo La Tengoだったらしい。友達とゆらゆら帝国Yo La Tengoは語感が似てるから対バンしたんだろうという話をする。

日々がスケボーシューズの靴底みたいに盤石であれば良いなと思う。