育たなくなった子供が大人だ、というわけではないように(補足)

水をつけた米を握ると固まる。その時にできる形が好きだ。砂の場合も同様。水の力である。

・言語が持つロジックの違いについて
「机の上にリンゴがある。」という文章は通常「There is an apple on the desk.」というように英訳される。例えばこれを比較することによっていくつものロジックの違いが浮き彫りにされる。一つ目は主体について。一時的なリンゴの存在を語る場合に日本語では「リンゴ」が主語になるのに対して、英語の場合主語には「there」という抽象的な場の概念が主語になり、「apple」は目的語になる。決して「An apple exists on the desk.」とは訳されない。これではAn apple is always on the desk.という意味になってしまう。つまり、扉をあけて、そこにリンゴがあった場合、日本語のロジックに支配された人は、「リンゴのある部屋!」とリンゴから同心円状に意識を向かわせるけれど、英語のロジックに支配された人は「部屋の中のリンゴ!」とリンゴがある空間を意識するのである。
間違いだということが判明しました。主語はan appleで、順番が入れ替わってthereが文頭に来てるだけみたいです。文法的には。中学のときに全然文法とか勉強してなかったのがばれますね。でもやっぱり英語は順番が重要みたいです。
そして、冠詞。「an」単語を考える際に、個数に対する意識があるかどうかということは語に対する感覚に対して大きな違いを生む。「an」という冠詞がつくことによって、そこに見えていない多数のリンゴも存在することを意識している。しかし、日本語の場合特別個数を意識しない限り、リンゴはリンゴという概念でしか扱われない。一回性(具体性)を欠くのである。
次に「the」について考えてみる。英語では、「the」がついた場合でないと、話が現実味を持たない。theがつかない言葉は全て空想の中の言葉である。「the」がつかない言葉は現実になる前の言葉か、もしくはそれが現実であるということを新しく知らしめることになる言葉である。日本語のロジックにはそうした区別がない。
また、語順の強制度の強さも重要なポイントである。英語は語順の縛りが強い言語である。往々にして副詞句は末尾につく。対して日本語は自由度が高い。上記の例文の場合、「リンゴが机の上にある」と「机の上にリンゴがある」では意味の上でさして大きな違いを生み出さない。(「リンゴがある。机の上に」という述語の後に副詞がくる詩的な文章は破格とみなしてここでは考えないことにする)一方で、英語の場合、「On the desk, there is an apple.」と「There is an apple on the desk.」では意味の上で大いに違いがある。前者のほうが「on the desk」という概念があまりにも強調されすぎている。英語のロジックでは順番が重要視されるのだ。これは、いささか飛躍しているかもしれないが、パラノ的発展、直線的上昇、時代が下るにつれて世界はより良くなるという西洋のパラダイムの発現に大きな影響を与えていると僕は思う。


ご飯が炊けるのを待つ間に友達にもらったアザラシアワー・ニジマスナイトを聴く。川崎大助に「最近FISHMANSおしゃれだよね」と言われた佐藤伸治が「オシャレって言葉はよくないよ。」と言ったり、渋谷系ムーブメントの話になって「もううんざりなんだよ、最近その話ばっかりで。」と言ったりするところがとても良い。サトちゃんがまだ生きているのではないかという擬似感覚に襲われる。通信技術や記録技術が発達した今日において、「死」と「近くにいないこと」の差はだいぶ詰まっているように感じる。技術は死の意味を和らげる。それにしてもラジオ番組ってエンディングにさしかかるとなんでこんなに悲しい感じになるんだろうか。