また会う日まで

最近、本を何冊かを中途半端に併読してしまって少し失敗したかなと思っている。小説などは併読しすぎると話を捉えるのが面倒くさくなる。アーヴィングの「UNTIL I FIND YOU」という小説をを読んでいたが、翻訳の文体が、翻訳ものばかり読んできたすごく英語のできる大学生が訳したみたいで気に入らないうえに、最初の50ページを過ぎてもあまり筆が乗ってこないので(どんな本も最初の50ページである程度までは中身を判断できると思う)読むのをやめてしまっていた。
今朝まで9人で友達の家に泊まり込んでいた。春休みも高校時代もだいぶ彼らと遊んだ。宅配ピザを食べたり、野球をみたり、銭湯へ行ったり、夜通しジェンガやトランプやゲームをした。それでまた意味のない話をしていたが、浪人を除けば全員違う大学へ行くのでもう当分は集まれないこともあって、やはり今回は少し感傷的な態度も入り混じっていた。買出しへ行くと、ちらっと覗く青空には戦闘機が飛び交っていた。そして夜が更けて夜が明けて、みんなでゴミを出して駅へ行き、3年以上に及ぶ長い長い邂逅は終わりを告げることになった。友達がみんな家へ帰り夜通しの笑い声も止まってしまい、仕方がないから靴下をはいて外へ出る準備をして、外へ出てみると温かい雨が降っていて、物語のはじまり特有の雰囲気を感じるという、あの歌はそういう意味だったんだなと思う。こういう邂逅を繰り返してそれぞれが物語を紡いでいくのだと思う。そしてこういう分かり合い方というのは、つまり石鹸や毛布やピザの切れ端やゲームのコントローラー、テレビのリモコン、を笑いながら取り合うような精神の密接は、ここの状態が一番のいヤマで、きっとこの先は離れてゆくばかりなのだろう。改札で別れる際に特有の変な間があって、そこで思い切ったことを云う勇気も出ずに、僕は乗り換えた電車の中で「UNTIL I FIND YOU」の邦題が「また会う日まで」であったことを思い出した。