春を分つ

線路沿いの緩やかな坂道を下るとバーのない踏切があり、その先に大きな体育館があった。そういう海辺の町にみんなで行った。隣の大きな公園に行くと遠くの丘の上できれいに整列して立つ団地がきっかり斜め45度の角度でこっちを向いて、そこで僕らは野球をした。今時めずらしく球技の禁止されていな公園で、さまざまな風景の親子がいた。僕は二塁打三塁打みたいなのを二回程打った。結局それらは全て「ファール」ということになった。ポカリスエットを買ったら同時に2本や3本出てきたりしてみんなではしゃいで、それで最後に三振して引き分けで終わった。僕らの声は風に吹かれて遠くまで響いていたと思う。ポカリスエットは発売から味を変えていないらしい。飲み水が豊富だった昔の飲み物は「味」に金を払うという考え方だったのだろうから、どおりでポカリスエットは味が濃いわけだと思った。飲料水の安全性に金を払う時代には少しそぐわない味付けだなと、ペットボトルをごみ箱に捨てる時に思った。

帰りは緩やかな坂道をのぼった。巻き毛のような雲に紅色が反射していて、後ろから3人の中学生が追い越して行った。2人は自転車で、もう1人は走ってそれらを追いかけて行った。時たま紺色とクリーム色のストライプの入った電車にも追い抜かれた。

大体何かのコンテストの優勝者に応募動機を聞いたりすると、「友達に勧められて」とか「勝手にエントリされてました」とか嘘だかほんとだかわからないようなコメントが並ぶけれども、それで彼らは謙遜しているつもりなのだろうか。自分がコンテストで優勝するタマだということを自分で気付けなかったということを露呈しているだけではなかろうか。謙遜を強要する雰囲気が自らの能力を自分で計る力を衰退させていると思う。だから、なるべき人がなるべき職に就かない。なるべき人はなりをひそめているふりをしてボケっとしている。おそらく政治家や首相もその職を目指した理由を聞くと、「周りに勧められて」とか「選挙でたまたま勝っただけです」とか言うに違いない。ここはそういう国だと思う。

口から出まかせにくだらない話をしながら歩いていると、小さな売店があり、さっきの中学生が店頭のアイスクリームのボックスに自転車を立てかけて、中をガシャガシャと漁っていた。その町には随所に切り立った崖があり、真っ黒な崖の影がどこからともなく伸びて足元に広がっていた。僕らは存分に春を分かち合った。