スラヴ人の親子/三月の水

小さな駅のホームの対岸には三つ並んだベンチがあり、コーラを飲む娘 息子の鼻を拭く母親 異国の言葉で必死に説明をする息子 という三人が座っていた。その三人を見て、もう三月だなと気づいた。
毎年どこかに書いているが、ボサノバの名曲に「三月の水」というのがあって、韻を踏んだ歌詞が意味が分からなくとも素晴らしく素晴らしく、意味が分かるともっと素晴らしい。三月はブラジルでは夏の終わりから秋の始まりにかけての季節であり、日が沈んでいく季節らしい。1950年代後半から1960年代初頭のブラジルはペレが象徴しているように、よい時代だったらしい。ボサノバはそういう土壌で育ち、そういう土壌が荒らされると同時に廃れていった。やっぱり三月の上旬は三月の水を聴きまくる。ジョアン・ジルベルトのアルバムもとてもよい。

Caetano Veloso/Sozinho
ギターとボーカルが一体になって曲になっているという事を実感する演奏。何回ループしてもいいな。

カエターノ・ヴェローゾについていろいろ調べていたら、こんな言葉が書いてあった。「死んで行く生物が失う幸福よりも、その死骸を食う別の生物が得るだろう幸福のほうが大きく、こうして世界は有機物が存在することによって徐々に幸福を増大させる」
三月のわりに今日はとても寒い。