ノックアウト再び

むしろ快感になるほどの眠気を感じつつ東横線でやり忘れていた塾の宿題(慶応の環境情報の1999年度の英語の過去問、これにはあとでちょっと面白い話しがあるので気が向いたら書きます)を読んでいたら、日吉で相変わらず慶応大学の学生がわんさか乗って来た。
彼らには4月の入学式の時点でノックアウトされている、ということは以前書いた事だが、(三十行下へワープ)
僕のすぐ前に立った二人の男女の片方はきれいめなきれいめの女子学生、片方はこれ見よがしにギターケースを担いだ男子学生。車内が一気にぬるくなる。もうそれだけで僕の見ているプリントの右下の「慶応、環境情報、1999」という文字が躍りだし、心は折れそうだったのだけれど、どうやら二人はバンドをやっているらしい。男子君が「うーん、コード進行だけじゃなくてメロディも作ってきた方がいいとは思うんだけどね、あ、あと歌詞も書いたり。みんなの中にあるイメージは全然違うわけだし」 心の中で「おいおい、コード進行だけとかそれ料理で言ったら醤油の匂いとかさせてるだけでしょ。むしろメロディだけの方がいいよ。調味料は個々が好きにかけて食べればいいんだから。素材をどう料理するかが曲を作る作業なんだからさ。そもそもアマチュアバンドでやるなら1人がコンポーザーになってデモ作ったり譜面書いたり、何の楽器を使ってそれぞれをどういう音作りにするかとか全部1から10まで考えて用意しないと、周りのやつらはついてこないし、うまくいかないよ。バンドメンバーを道具にしないとさ。音楽にはだいたい二通りの楽しみ方があって、それは聴く、演る、の二つなのであって、音楽を作るという作業はこの二つがいい感じにマッチしないと成立しないのに、大体の大学生とか「プロめざしてます」的なC調バンドに限ってこの二つが乖離していることが多いんだから、そこを牽引するためにコンポーザーが一番がんばらなきゃダメなんだよ。僕は高校三年間でそのことを痛いほど感じたんだよ。」と思っていたらもう英語どこではなくて、日が暮れた頃に外が晴れてきて、彩度の高いきれいな紺色になっていた。夕暮れの色がきれいなのは彩度と明度がとても高いからだけれど、街中に溢れる彩度と明度の高いくだらない、そしてたまにくだらなくない看板が一切きれいでない件についてはそれが意味を持っているからであり、その事は歌詞に関しても同じことが言えるんだよ、とまた思ったりする。片方のキーボードを担当しているらしき女子さんが「キーボード弾いてるといつも同じになっちゃうんだよね。コードネーム追ってるだけで。」もうそんなのを聞くと、がばっと立ち上がって、「もっと音楽聴いて、一ヶ月に100枚ぐらいアルバム聴いて、自分の中でネタを溜めたら、今度はバンドであわせる際に、その曲のキーのサブドミナントの音だけしか弾かないという制約を設けるとかしてみるといいよ。一音しか使えないって言ったって、オクターブがあるんだから音の数はいくつかあるし、音に表情をつける練習もしなきゃだめだし、音色もためたネタが一杯あるだろうし、拍に音符をどう割り振っていくかなんてもう無限なんだから、もうそれだけでおなか一杯のはずなんだよ」と叫びたくなる。そんなこんなで渋谷についてしまう。外に出るとなぜかまた雲の上にビルが突き抜けている。どこだって変わらない。もう繰り返し繰り返し。雨降りもくだらないバンド談義も曇りも、電車もまた来るし、また慶応生は乗って来る。僕はいつまでも何かを読んでいて、いつだって駅前は変なにおいがする。
そんなこんなで、僕は再びノックアウトされた。

STUDIO VOICEの少年ジャンプ特集の号をパラパラと読んでいたら、ジョジョの奇妙な冒険幽遊白書が絶賛されていたので読んでみたくなった。ちなみに「冨樫義博の歴史が、少年ジャンプの歴史だ。彼の状態を見れば少年ジャンプの状態がすぐにわかる」とのこと。だいじん今日持って行き忘れてごめん。