90年代と広末涼子に関する考察 汚染物質29Y

勉強すると何も書きたくなくなるな。書きたいってのは勉強が足りない証拠だ。
広末涼子と1990年代について考えていたのはおとといの話。きっかけは前の号のBLUTUSにてJPOPの歌詞の特集やってて、その中で広末涼子の『MajiでKoiする5秒前』の歌詞を推す人がとても多かったこと。(1995年あたりに流行した「マジ切れ5秒前」って言う言葉をもじったらしいが、そもそもその言葉自体たいしてはやってなかったんだってさ、参考:七年前の教えてgooYouTubeで見てたんだけど、見てるうちに、広末涼子について調べたくなってきて、調べたのが発端だった。広末涼子に関しては、物凄く流行ってた覚えはあるけれど、当時僕はまだ10歳くらいで、向井秀徳が言う所の性的衝動とかもなにも芽生えてなかったから、リアルタイムでの印象はかなり薄い。唯一記憶に残っているのは、彼女が結婚したというニュースが流れた日、塾にて水岡先生が授業中にめちゃくちゃ残念がってたことくらい。

それで、広末涼子について調べてみたんだけど、あることないこと色々出てきて、でもやっぱり火のないところに煙は立たぬというし、すごく悲しくなってしまった。広末涼子という人の人生の不憫さがすごく身にしみて次の日も模試だというのに3時半まで眠れないくらいだった。本当かどうかはわからないのでここには書かないが、興味があればネットで調べて欲しいのだが、広末涼子という人物の半生は1990年代という時代の一面を端的にあらわしていると思う。90年代を理解するうえでキーワードになる人物、否言葉だ。


すごくいい香りのシャンプーの匂いがただよってくる曲

1990年代以降、日本はロリコン化したといっていいと思う。また終わり無き日常論に持ち込んでしまうのだが、バブルで青天井が崩れて、目指すべき目標は胡散霧消した。人々は、擦れきって成熟しきって熟れて崩れたのだ。そういう時代に人々を癒してくれるのは、成熟したものではなく、若さや幼さ瑞々しさ無垢さといった、一種幻想的でファンシーな禁忌的な、それでいて日本の社会が失いつつあったものだったのではないか。そういう理由で人々の性的嗜好の流行はより若い、幼い、無垢な方向へと向かって行ったのではないだろうか。

それと同時に芸能界、特にアイドル業界のプロデュースも変容した。人々の身心が擦れてしまった以上、理想、イデアとしてのアイドルはもはや存在し得なかったし、芝居、歌、といった芸能上の一種の茶番へ人々は興味を示しにくくなっていた。そこで、彼らはアイドル自体の私生活にまで踏み込むようになった。というよりも、メディアやプロデューサーが人々にプライバシーの垣根を踏み込ませたのだ。すると、イデアとしての価値は零落し、逆に醜聞をちらつかせることによって人気、というよりも関心を得るという場面にまで展開した。奇しくも彼女が宣伝をしていたポケベルなどの携帯通信機器の登場で、芋づる式に蔓延していった「援助交際」のような無垢さを商品化する雰囲気や、ドラッグなどの新しいものの流入、(それらは今でも続いている節がある) そういうところで広末涼子は犠牲になった。

00年代もそろそろ終りを迎えようとしているが、これから僕らが10年代、20年代を作り上げるためにしなくてはいけないのは、90年代、00年代を解釈し、そこで起こった間違いや悲しみをどう軌道修正していく考えることではないだろうか。例えば、個人の私生活までに踏み込み、収拾がつかなくなったアイドル産業は今、ブログという新たなツールで、その私生活と仕事の折衷の道に新たな活路を見出している、だとか。

僕は翌日の午後、学校にくっついてる自習室(カトリックの学校なのでザビエルセンターという名前だ)にて、その前の晩の悲しみを思い出して、そんなことを考えていた。そのことを考え終わった瞬間、90年代の母乳を吸い、00年代のを血肉にしてきた僕の世代が世界を作る時代が迫っていることを、この試験が終わればもうその時代がやってきてしまうことを、如実に感じて覚悟に満ちた幸せな気分に浸っていた。周りを見渡せばみんな居眠りをしたり勉強をしたりしていて、空はカッと晴れていて、季節はすでに秋だったけれど、僕がうつむいて人知れずニヤニヤと幸せをかみしめていたことをきっと誰も知らない。

それで今日またザビセンで勉強していたら、友達に携帯のニュースを突きつけられて、「世界大学ランキング発表 東大19位 京大23位」ってなってて、見た瞬間に僕が入れば4位差くらいは軽くひっくり返してやるよと、思えてしまったほど幸せな状態が続いている。

90年代や広末涼子の苦難を供養するためにも将来この曲は絶対カバーしようと思う。