熱帯じゃ好きなものが買えるさ。

鞄からカビのように生えてきた埋蔵金は中古自転車の購入に使われました。新しい中古自転車を買ったのは、自転車ぐらいのスピードで急がないと、授業が終わったあと街での飲み会に間に合わないからです。にももかかわらず、昨日はとても人のいいハゲの教授がおごってくれるはずの飲み会をサボりました。

髪が伸びると、髪の毛が重くなって、毛穴が痛くなるような気がします。

生活と消費の問題、つまり、消費というのは部屋でぬくぬくとしていてもアマゾンや楽天でサクサクと必要なものが買えてしまう、ということであり、生活とはそういったらくちんな消費の形態が保証されているにも関わらず、街には手をつないで一緒にい物をするような二人組があちこちに散見されるような、もしくはその人達のための商品の陳列も保証されている、ということなのですが、昨今は本屋やCD屋等実際の店舗の経営が立ちゆかないという話も耳にすることがあり、やはり生活と純粋消費、これはあえて切り離して考えなければならないというのは、うなずけるような気がします。消費形態の合理性のみを追求すればきっと街(生活)は滅びるでしょうから。

うなずく、と言えば、うなずくという行為が全人類共通して肯定を示す、というのは、メタ言語の存在が示唆されているのかなんなのか分からないけど、面白いことだと思います。