寒さはいっそバチカンを越えて/秋、ドライブの思い出5セント

車で紀伊半島をぐるっと回ってきました。ミカン色のパーカーを来て、ミカンを食べたりしました。祖母の家にあるミカンの木のミカンの味と比べたら幾分劣る味で、横浜のミカンのおいしさを再確認しました。あんまりミカンミカン言っていると、三上寛を思い出して嫌な気分になります。ギヤをバックに入れたまま発進して人をはねそうになってビビりました。夜、旅館でお酒を飲んでいたら、一緒にいた人達に「あっ、ピンクパンサーに似ている」と言われました。かつて、タイに行く飛行機の中で見知らぬ人に「あっ乱太郎に似てる」と言われたこともあります。熊野と言えば中上健次ですが、中上健次と言えばフォークナーで、そんなことではなく、いや、でもこの熊野三山中上健次の小説との関係は一考に値するのではないかとも思いますが、熊野大学にも京都にいる間にいつか参加しようと思っているのですが、熊野三山のうちの、那智大社と本宮に行ってきました。熊野川はダムが放流中で、黄土色に濁っており、支流と合流するところでは、本来の色を保っている支流の川の青さが際立ってとても美しい、と思った時に、紀伊半島の海がきれいな理由は川の水がきれいだからという理由に加えて、川が短いために途中で濁ることがないからなのかもしれないと思って、車の中でぼそっと言ってみて、あまり良い反応を得られなかったり、1メートルぐらいある巨大なおみくじを引いたりしました。高野山は相変わらずお化け屋敷崩れのB級な観光地で、この10月のひっそりとした肌寒さは秋の深まりを予感させる軒先の柿を完熟へと向かわせる装置なのでしょう。
京都に戻ってきて翌朝、家に泊まっていた友人がなぜか5セント硬貨をいじくっていました。金色の具合と良い、硬貨の小ささといい、しがない秋の小旅行が集約されていると思いました。

「文学界」では高橋源一郎さんの新連載が始まっていますね。例のごとく良く分からないです。まあ、文学は余りにも死について語りすぎていて、自らが死を迎えていることにすら気付いていないといった状況なのでしょうか。
さて、ここに文学を見限ろうとしている男が一人います。昨日、先輩のつてで法学部の准教授の研究室にお邪魔して、経済学部への転部の相談をしてきました。前に座ると、緊張してうまくしゃべれない、というか僕自身の中身、考え、その浅さが全て見透かされるのではないかという思いのする先生がときたまいます。高校時代にも23人いましたが、昨日相談しに行った先生もそんな中の一人で、「根拠が無くても良いから、自信もって突っ込んで行った者勝ちだと思うよ、ハハハ」とのアドバイスをいただいて、突っ込んで行ってみようかという感じになっています。
「失敗しても死ねるし」というのは高校時代の友人の名言だと思っています。成功しても死ぬんですけどね。