オザケンもニートもぼくも兵隊もヒトの姿じゃ五十歩百歩/プーさえも

部屋に吹き込む風が強くて涼しくて起きた。秋を運んでくる風。季節の終わりを告げる風。そういう日はせつない。選挙が時代の終わりを告げるような力、力強さを持っていたことはあるだろうか。あると答えるかないと答えるかは知識量や勉強量というよりもむしろ選挙に対して楽観的か悲観的かによって変わるのであろう。楽観的になるか悲観的になるかという点において、知識量や勉強量がほんのりとかかわってくるわけだが。

昨日は、午前中どシビアな機械式駐車場の車庫入れの練習をしたり、大黒埠頭のパーキングエリアのマクドナルドの良さを久々に実感したりしたのち、東京中探しても結局下北沢でしか見つからなかったヴァンダイクパークスのレコードと、母親にプレゼントするためのアズテックカメラのCDを買いに行く。途中でふらっと700円の古着屋をのぞいたら、京都でキノコ採集の授業に一緒に参加した人を見かける。日本の狭さを感じる。その人はやたらキノコに詳しくて、マジックな感じのキノコにも詳しそうな雰囲気をにじみ出しているのだが、店を出たら彼は路上にしゃがみこんでこっちを見ながらプカプカたばこを吸っていた。

その後渋谷界隈で3年ぶりに会う友達と食事をしたが、途中、店の客の八割が東大法学部の同窓会をやっている人たち(みんな70歳くらい)という事態が発生し、それがおもしろくて会話どころではなくなる。石橋湛山が病気になったのが惜しい、と言っている人がいて、やっぱそうだよなと安心する。議論が勃発して23人帰って行った。ほとんどの人が政治の話をしていたが、3人くらいはずっと野球の話をしていた。せいぜい4年かそこら通ったぐらいの学校に、妙な誇りを持ってしまう人の軽薄さたるやない。あのプーさんでさえ、ハチミツ以外の食べ物を食べたうえでハチミツが好きだと言っているのに。