夏休みなんてもう終わってもいいのにとか言ってみたのは今日が初めてかも

昨日の夜、夕飯を食べた後、急に思い立って渋谷のツタヤに出向く。悩んだ末、映画を6本借りて終電ギリギリで帰ってくる。京都は品揃えが少ないので、京都になかったもの、なさそうなものを選ぶ。
ユリイカ、helpless、夏時間の大人たち、Fried Dragon Fish、そのほかオムニバスを2本。
青山真治のHelplessは自然な意味不明さを表現している映画でとてもよかった。ニルヴァーナのアルバムのジャケット(ちんちん丸出しのベイビーが金に釣られてるやつ)のプリントがしてあるTシャツを着た浅野忠信の演技が恐ろしい。膝の裏に汗をかいた。ただ、途中で爪を切りながら見てしまったのと、午前中に観たせいで全体的に暗い画面の中に自分のマヌケ面が映り込んだりしたのとで、いまいち集中できず。もう一度観たいと思う。
夏時間の大人たちは、菅野よう子の音楽がよかった。ちょっとバカな大人がたくさん出てきて、ちょっとバカな子供をすごく混乱させる。岸部一徳はセリフのほとんどが「晩飯はまだか」なのにもかかわらず存在感がすごい。素晴らしい役者だ。短いフレーズでサクッと言えること、これは言わなくてよいことである。少なくとも映画や小説という回りくどい手法を用いてまで言わなくていいことだ。論理的でない部分、言わなくてはならないことではないが言いたいこと、相手に分かってもらわなくてもいい部分、でも少しわかってもらいたい部分、かといって分かったと言われたら言われたでほんとにわかってんのかよこのやろうと悔しさを感じるもの、映画や小説はそういうことを伝える手段なのである。そんなことをひしひしと感じさせる映画だった。
一方そういうことをいかに短く言うかが短歌だと思う。枡野浩一の「ショートソング」という小説を読んだ。知ってる喫茶店が何軒か出てきておっおっとなる。人とどう付き合うか、みたいなことがテーマになっているけれど、枡野浩一が本当に書きたかったのは現在の歌壇に対する不満と、開かれた歌壇を目指したいという意思表示なんじゃないかと思う。きっと短歌を始める人を増やしたかったのだろうと思う。彼は離婚してから少しまいってしまっていたが、最近また動きがあるので注目しておきたい。自分を客観的に見ることで自分が感じた悲しみを作品化して、その悲しみを達成感に変化させることができるのが芸術である、というようなことが夏目漱石の「草枕」の最初のほうに書いてあるが、「ショートソング」にも同じようなことがもっとポップに書いてあった。
「夏時間の大人たち」の最後に流れたケメ子の歌は小学校の音楽の授業で聴いて以来10年ぶりに聴いた。やっぱり改行は苦手だ。