農学部も面白そうだったと最近思っていること。

どうでもいいけど、農業のことを書こうと思う。
前提として現在の農業は環境破壊であるということを念頭に置いておいて欲しい。農業は土壌と表裏一体である。どういった土壌であるかによって作物が作れるか否か、どのような作物が作れるのかまでが決定づけられる。土壌の要素は大きく水分と養分に分けられるのだが、世界の土地は概して養分は十分だが水分が欠乏しているか(メソポタミア等)、水分は十分だが養分が欠乏しているか(アマゾン等)のどちらかである。なぜならば、水が土壌を流れると養分が水に溶け出して流れていってしまうからだ。養分が豊富な土地で灌漑を行うのが一番手っ取り早く農業に適した土壌をつくる方法なので、古代文明はこの方法で農業を始めた。農業は食物連鎖からの逸脱であり、環境破壊はこの時点から始まっているという見方もある。その後に人間は知恵というものをつけて肥料を作り出した。化学肥料など、大量に投入することができる養分の開発によって水分が豊富でやせ型の土地でも農業が可能となった。大規模灌漑(大河や湖の枯渇をもたらす)や過度の肥料投入(化学肥料生産時の汚染物質の排出量も相当なものである)という環境破壊(環境破壊とは、『人間が住みやすい環境の破壊』の略である。環境がかわることに対して地球はなんとも思っちゃいないので、地球を守ろうなどという考え方は勘違い甚だしい)を行いつつ僕らは毎日のご飯を食べている。一方で養分があって水もあるという農業に最適な土地が二種類ある。火山の近くと、水が流れ込む低地である。前者は火山が地中のマグマ中にある鉱物系の養分を吸い上げて地表にばらまいてくれるので、養分が豊富であり水分で流されても十分な養分が土壌に残る。後者は、水が流れ込むことによって逆に水が養分を運んできてくれるために、極上の土壌となる。そして、驚くべきことに、日本はこの二つの要素を両方兼ね備えており、そこかしこで農作物ができる幻の土壌が豊富に存在しているのだ。加えて、ヘクタールあたりの収穫カロリー数が最も高い水稲が育てられる気候であり、農業をする以外には何も考えられないような土地である。同じような土壌にインドネシアなどが挙げられるが、両国とも人口密度は世界有数である。ところが、近代以降、というよりは戦後、日本は生産性の高い土地を持ちつつも農業を放棄してきた。土地の狭さの問題や、工業の方が儲かるという単純な理由、輸入品との競争率の低下などの理由が考えられる。けれど、僕はここ一ヶ月近く一人暮らしをしてみて、日本人は発展途上国の国土の汚染やその国の労働力、もっと言えばその国の人々の時間をあまりにも安く買い過ぎだと感じる。それらと競争するために日本の農作物の値段も下がって結局自分の首を絞めることに鳴る。外食を考えてみると、店の儲けが半分で四分の一以上が輸送費や中間マージン結局一番金を払わなければならない肝心なところには実際の値段の四分の一以下しか払っていないことになる。僕はけだるい顔をして遊ぶための金を稼いでいる僕のような大学生によりも、生活をかけて働くブラジルのプランテーション農家のほうに多く金を払いたい。松屋で息子の塾代を稼ぐおばさんによりも、おいしい作物を作るために作物を作って金を稼ぐ農家に金を払いたい。(金を払いたいところにきちんとピンポイントで金を払えないのも現在のシステムの問題点であると思うのだが)農業をどのようにするかを計画するということは(計画的に環境破壊をするということは)逆にどのように美しい環境、景観を維持していくのかということにもつながる。日本には自然の草原は存在しない。一見自然のように見える草原も実は人が野焼きを行ってつくったものであり、日本であれば手入れをしなければ2,30年で森林に戻ってしまう。よい景観はそれが意図的であるか副次的であるかは別として計画や手間を省いては出来上がらない。第2次産業が行き詰まって、第3次は飽和だとか醜いとか言っている暇があればもっと農業について考えればいいと思う。日本の農業はもっと改善の余地があるし、土地があまりにもよすぎるために日本人が簡単に農業ができることを当たり前だととらえてそのありがたみを感じていないという現状を改善すべきだと思う。
Born Slippyいい曲。