「誰かが言ってた」という回りくどさ

昨日:寿司を食べるために、墓参り、祖母が勝手に合格祈願をしていた鎌倉の神社にお礼参り、等々に出向く。宗教的儀礼であることを意識せずに渋滞覚悟で石に水をかけに行くとか、本気でやってる人々の気が知れない。おまけに晴天で花粉地獄だった。部屋の片づけをする。120冊のノートが出てくる。おそらく使っていないページを寄せ集めれば20冊ぐらいの新品のノートが出来上がるのだろうけれども、そしてそのまま捨てるとエコエコおじさん(おばさん)にムチでさんざんにひっぱたかれるのだろうけれども、やってないやってないと思いつつ意外に勉強していたことを自覚する。
今日:なんなく調査書を手に入れる。菜の花が咲いているのと、それらを夕日が照らしているのとを電車の中から見ていたら、目の前の子どもが「ねこふんじゃった ねこふんじゃった ねこふんじゃったあとにしんじゃった」と歌っていた。
そういえば、おとといは入寮選考の結果が出たのち、何もせずに帰るのが癪だったので、歩きながら見つけた映画館で恐ろしくつまらない映画を狙って見た。「原口鶴子の青春」とかいう題名で、要するに明治時代にもアメリカで心理学の博士号をとった日本人の女性がいましたよ、という内容。客層は90%が中年以上の女の人だった。ドキュメンタリーの典型的な失敗作で、結局原口鶴子とやらが生活していた現地に出向いてデジカメで撮ってきただけの観光記録のような、「明治期の日米の建築水準の違い」という題名にしてもよかったのではないかというくらいの最低な映画だった。研究の中身に触れないから結局彼女が心理学の何に貢献したんだか分らないし、(ということはたいして何もしていないということである)時代遅れの「いかにもフェミニズム」が哀れな一方で、デジカメの使い方を知らないで撮ったせいかやけに彩度の高い色合いが安っぽかった。これを逆手に利用する手もあるなと思う。ただ、大和田伸也がナレーターをしていて、必要のないところで突如としてコブシを利かせてしゃべっているのを聞いて、環境野郎Dチームを思い出すなどして含み笑いがおさまらず、寝なかった。

すごくエロいブログのようなものを見つけた。今日マチ子のセンネン画報