あと40分することもないので、書きます。

昨日NHKスペシャルポアンカレ予想に関する番組を見たが、トポロジーとか知る由もなく、「紐を回収する」という意味すら分からずに終わったのだが、(たとえ宇宙がドーナツ型だとしても紐は戻ってくると思うんだけれど)結構トチ狂った学者がたくさん出てきていてそれはそれで面白かった(体中に綱を巻きつけてニコニコしてる数学者の写真だとか)。そのいわゆる難問を解いた後に世間の交流を断っているぺレルマンという人間について、彼は確かにすごいらしいけれども、賞を辞退したり隠遁することによって逆に目立ってしまうということに気づいていない点では相対的に物事を考えられない人なんだなと思った。(それを狙ってるのかもしれないけれども) 僕が大嫌いなミュージシャンにカート・コバーンという人がいるけれども、両者は似ている気がする。サルトルの心の深層にだっておそらく「ノーベル賞辞退したらかっこいいだろうな」という思惑があったにちがいない。何か偉業を成し遂げたいならば、その業績が負う人類に対する責任が一生付きまとうという覚悟が必要なのだろう。そういう覚悟無しに才能や権力、地位、偶然手に入れた環境などを乱用して不用意に偉業を成し遂げてしまうことほど罪なことはない。世界を統一したいならば、統一後の計画を明確に練ってから、自分がそういうことをしていいタマかどうか見極めてからするべきなのだ。少なくともペレルマン氏には、自らが打ち立てた業績の内容をより多くの人に理解させて、その分野のさらなる有用な発展に寄与すべきであると僕は思う。特殊相対性理論が発表されたときに誰が原爆の出現を予見できただろうか?そして一般相対性理論が発表されたときに誰がカーナビの発明を予見できただろうか?