未だしパパイヤ、塩味で喰らふ、シタールを弾く女、その手の大きさ

おととい:数学2002年 慶法世界史2006 河合実践問題集古文 慶法って魔法に見えるな。
昨日:スタンダード19/169 終わる見込み薄なので分野を絞りつつやる。 数学2003年 実践問題集古文 世界史一問一答3章復習 ここまでくると、ついつい得点を出していろいろと打算的な姿勢になってしまう。よくない。駿台は最終日の和訳の量が冗談じゃないほど多かったのでとても疲れた。知らない単語以外は一箇所しかミスらなかったのでいいか。単語はどうも入ってこない。"in tne misery dictionary page after page"という詞がメロディ付きで頭をめぐる。帰りにお茶の水で中古レコ屋によろうかと思ったけれど、直ぐに散財してしまうのでやめる。サクサクやりにいくのは受かってからにしようと思う。ローゼズのアナログ盤どっかに売ってないかなぁ。ジャケットがめちゃいいのに。ジャクソンポロックみたいなやつ。この前グーグルのトップ画がそんな感じになってたけど。

昨晩センター試験以来放置していた「それから」を片付ける。一言で言えばニート小説。物質的にも精神的にも裕福だけれども。ストーリーの本筋に関しては経験上まだ分かった振りをしてはいけないと思う。時代の違いも感じる。あの、明治の文章を読んでいるとときに出てくる、書生という身分がうらやましい。猫じゃなければ、書生になりたい。アンニュイが論理を転倒させる様、つまりいわゆる鬱状態のことだが、は今に始まったことではないと気づかされた。そういう種々の問題は維新以後ずっと続いている。むしろ第二次世界大戦を経て、それまでの考察が分断され、そういうものに対する洞察が鈍くなっているような気がする。たとえば病として扱い、精神科医の儲け口にすり替えてしまったりする。そして漱石は、今でも一部の「憂国」の連中から英雄視されている日露戦争で活躍した軍人の崇拝を作中でばっさりと斬っている。終戦後4、5年のことである。馬鈴薯が金剛石よりも大事になっては駄目だ、という理論は現代の労働に対する問題を考察する材料になりうる。劇論も含まれている。捕らえきれないほどいろいろな問題が含まれている。漱石の絶頂だと思う。その後代助よろしくマティスとゴーガンの画集を眺めて、カリカチュアの相を呈してるな、漫画だなと思い寝る。

昨日は三時くらいに、NHK教育でやっていた「日本の伝統芸能」という番組をつい最後まで見てしまった。着物を着て能のプロットを語っている女の人の語り口がなんともよかった。そんなものが面白いと思うほど退屈している。就職する気はさらさらないが、もしマスコミ関係で仕事をするなら俄然NHKだな、と思う。民放とは違ってSとDの関係から生まれる数字を気にしなくていいので好きなことを追求できるし、も一定の制限があるから、みだりに賤しいものには落ちないですむ。ときたまライブビートだとかそういう奇跡的な番組が生まれたする。NHKが悪いのではなくて、特殊な状況をアドバンテージにできない連中が悪い。