日本の芸人はなぜ8割方関西弁をしゃべっているのですか? その理由は日本の大人向けアニメの主人公の八割方が中学生や高校生なのと一緒ですか?

って外国人に質問されそうだな。文庫版の天然コケッコーを3巻まで読んでしまった。そして3巻までよんだところで3巻までしか持ってないことに気づいた。
なぜ「天コケ」を読んだかというと、先週の金曜日に飯島愛の死体のふもとでのうのうとピザパーティーをしていたことに気づいてぞっとしたことなどには一切関係がなく(彼女のマンションと塾の番地一緒だった)、インターネットで「かんなぎ」という漫画が休載になっただとかなんとかで話題になっていたので、なんなのか調べたらたいした話題ではなかったのだけれど、動画検索サイトで検索してアニメの第一話をみてしまったりして、「そいういえば、あれだ」という風に思いだしたことがあって、「かみちゅ!」も4話までしか見ていなかったことを思い出して、見たりしていて、でまた「そういえば、」がやってきて、田舎の中学生ものと言えば「天コケ」ではないかと。1990年代初頭の作品。田舎物、スローライフ物のさきがけと言える作品。かつかつの少女漫画であるが、まぁ映画化されたりなんかもしていて、BGMをレイハラカミ氏が担当したりしていて、ポスト岡崎京子というわけではないがむしろ対極にある人で(それこそ岡崎京子的な飯島愛とは真逆だ)これはいいのです。棒に振ったとまでは言わないが比較的アーバンな中学高校時代を過ごしてしまった僕は(正確にいえば斜陽ではあるがあと1か月ほど陽は残っているという真っ赤な状態)カタルシスバンバン状態に陥るわけです。たぶんアキバ系と呼ばれる一連のものは、東浩紀などがメインストリームを語る時に対峙したくない人間を真っ先に排除するために使う道具となっているいわゆるサブカルチャーは、そういう追体験によって浄化する装置なんだなぁということが垣間見えてしまった夜でした。でもそんなにカタルシスを欲している彼らだが、たとえば対人恐怖症になったりしてひきこもってニートになって朝から晩までアニメを見ているような人々が、かわいそうというか救いようがない部分は、見ているアニメの内容が彼らの状態に反して全く悲劇的でないということだと思う。

英語とブログを始めてから明らかに日本語が崩壊している。矯正しないと。