世界の歴史

歴史というものは今を解釈するための道具だから概して最近のものに重きを置きがちだし、出てくる英雄はみんな人殺しだから、世界の歴史は殺しの歴史なのかと、そういうことはしょっちゅう思っていて言うまでもなく、さっきニコニコ動画を見てたらスカパラGAMO氏と北原さんがそれぞれドラムスとボンゴをた叩いている動画を見て、(青木さんも横できっちり叩いている時代の映像)少し感動して、いやいや、そんなことじゃない。世界の歴史とか言いながら全然世界を包括しきれてなくて欺瞞ですねという話。アフリカ史とヨーロッパ史のウエイトを比べてみれば一目瞭然で、あるが、本題はここからで、一昨日勉強してたら、京大の世界史の解答用紙を見た東大志望の友達が、「一問一答だらけじゃねぇかよ、ふざけんな京大なめんな」とかなんとか、とっさに言われて、だったら君も京大を受ければいいじゃないか、と思ったがそこはぐっと抑えて、京大が、英語や国語であれだけ文字を書かせる京大が社会でなぜ論述を二問しか出さないのか、そして本業であるはずの文学部においてなぜ社会の配点がとっても低いのかということについて考えてみた。

比較の話になってしまうのだが、東大の場合かなり特殊な論述問題を出す。思考力を試す問題なんだろうけど、でも悪く言えばすごいバイアスがかかっている。考えればわかるとか言うけれど、実際のところかなり特殊な見方をさせられる。つまり、考え方を身に付けた人、つまり東大風の思考回路(こじつけ方)をもった人の方が点を取りやすいということだ。日本史とか特に。そして僕はその日本史が結構得意だったのだけれど。京大が社会科目で紋切形の教科書の問題しか出さないのは、その真逆で何の考えにもそまっていないまっさらな人に来てほしい、もしくは何を考えていてもそれは各人の勝手だから、そこでふるいにかけることはないという、そういうメッセージなんじゃないだろうかなんて、突き放した感じの問題文を読んで今日思ったことはそれだ。そして国語でもそれはたまに思う。

レイモンド・スコットがよい。

この動画のドラムのおっさん地味だけどすごいテクだ。