復活

家に帰ったらネットが復活していた。
色々あるけれども、とりあえず京大オープンは国語の文書ちょっと偏りすぎじゃないかという事が一点。
新しい部屋はとても狭くて、荷物の多さもあいまってドアの稼動幅以外は引越し後二日目にして床が全く見えない。
おととい、家中が立体テトリス状態になっており、あまりにもすることがなかったので、本屋に行ったら、あまりにも悲しいものを目にしてしまった。といったら大げさなのだが、その日の国語の授業で話題に上がっていた「ロスジェネ」を立ち読みした。ここでも東浩紀が幅を利かせ、いつの間にか週間金曜日の編集委員になっている雨宮処凛などが喋くっている講演会の模様などが文字に起こされていて、本編はざっと流し読む程度だったのだが、秋葉原の無差別殺人事件の犯人のブログが事件数日前の記事から全文掲載されていたのを読んで驚いた。要約すれば、「寂しくて身心が貧しいだるいせつないこわいさみしい→身心が豊かなやつがうらやましい→あいつらむかつく→あ、またイライラしてるよ→寂しくて身心が貧しい、サバンナの象のうんこよきいてくれだるいせつないこわいさみしい→・・・cont...」という感じ。彼は「俺は不細工だからもてないし誰にも相手にされたい」という表現を使っていたが。あまりにも悲しくて愚かしく、その反面すこし共感してしまうような内容だった。
彼は人殺しである。彼は罪人だから罪を刑で償うのだが、一方で彼は人を殺す事で彼の全ての目的を達成してしまった。少なくとも検察や警察が相手しにてくれるし、留置所にいれば体調が悪くなっても病院に連れて行ってもらえる。レトルトの食生活からはおさらばできたし、なにより、あの身体的にも精神的にもつらく、恐ろしい労働がないのだ。そんな彼をどんな方法で罰する事ができようか。彼はそれが例え極刑だったとしても甘んじて受け入れるだろう。至福の時を迎えるだろう。ようやく死ねるとすら思うかもしれない。例え彼を極刑に処しても「法」というシステムの運営が行われている事を誇示し、社会の秩序を保つためには意味があるかもしれないが、彼に対しては何の効果もないだろう。けれどもそれが法なのである。そんな事を思い、罪と罰という事に関してまた混乱して本屋を出たら、三日月とそれにあわせて聴いていたジム・オルークの音楽がとてもきれいで、駅から新しい家までの道のりはチルアウトするには絶好の風景で、とても安心した。