秋と中上健次到来

午前中図書館に行ったら、前の席の人が辞書を引きながらブリーチを読んでいて、訝しげだった。おそらく日本語の勉強をしていたんだろう。ユリイカ中上健次特集だった。今年の熊野大学には柄谷行人浅田彰いとうせいこうあたりはもちろん東浩紀だとかも参加して、面白いことになっていたらしい(草野球も)。僕は恥ずかしながら、中上健次が全然わからない。岬と枯木灘しか読まずにそんなことを言うのは不遜かもしれないが、悪い意味の「理解できない」ではなく、彼の文章と、彼の文章の評論を読むとき、明らかに僕の力不足を感じる。そういう作家だ。それは僕がずっとNUMBER GIRLを理解できなかったのと同じ理由だと僕は思っている。(中上健次はきっとJPOPで言う所のNUMBER GIRLの立ち位置にいるんだろうと僕は思う)今日は一時間ほどかけてユリイカを熟読したが、結局心に残っためぼしいことは中上は「なかがみ」ではなく「なかうえ」だということだけだった。

帰りに古本屋で、中上健次の本を買って帰ろうと思って立ち寄った古本屋で、ずっと探してたshampootimeという雑誌を450円で手に入れた。(昔DTPのデザインするためを読んでいた本で、お手本のアートワークとして、題字が雛形に上げられていた)そしたらネットの逆オークションで10000円で買いますっていう記事が出てるのを見つけた。売ってしまっていいのだろうか。ちなみに中身が香椎由宇がものすごいハレンチな格好で出ているファッション誌という名のエロ本である。

僕の力不足のせいで巷で言われてるほどの凄いのかどうかがまだわかっていない作家のうちの1人に村上春樹がいる。彼らは「神話」というキーワードをベースにくくられることが多いが、僕は文学と神話の間の話が理解できない。理解しようとして読んでも何がわからないのかもよくわからない。仮にその原因を評論側に求めるならば、その手の評論が「感覚」に拠りすぎている嫌いがあるからかもしれない。神話だとかアウラだとか、そんな感覚的なものは共有してる連中の内輪でしか語れないことじゃないかと思う。「共感とかクソ食らえ」と言っているが、今日は村上春樹中上健次や、彼らを絶賛する評論家達に共感できないことが悲しい。ただ、何度も言っていることだが、村上春樹と僕の音楽の趣味はよく合う。

古本屋に入る前に普通の本屋に入って中上健次を探したのだが、一冊もなかった。村上春樹は30冊くらいあった。

この二人の違いは何か。まだ二人を拒絶している僕の目から見れば、読者と評論家の読みが乖離しているかしていないかである。両者の小説はいろんな層から切って読むことができるそういう意味では共通している。けれども村上春樹の文章(テクストという言葉は嫌いだ)は平易でそれでいてとてもすごく優しい。言葉がニュルっとしている。読者にとってはすっと入ってくる言葉だ。偏差値や就職率のいい大学に惰性で入ってしまうようなレベルのお洒落気取りな教養のある連中のニーズによく合致した文章だ。作者自身が意図したのではないとしてもだ。つまり、本に対しての態度が中庸な(学問にしたいほどではないけれど、趣味で読んでるし本は好きだという)人々は村上春樹を一つのステータスにしている。彼の小説に出てくるキャラクターが一体なんなのか、理解せずに筋をなぞっているし、深く考えるのは面倒くさいのだろうし、彼の小説に出てくる音楽がいったいどんな音をしているのか少しも知ろうとしない。ひどい場合には間違えて村上龍を読んでいたりする。そして、村上春樹自身もそういう読み方を推奨している。けれども評論家達はざっくりと、それこそ神話を読むときのように、出てくる言葉を概念の意匠として捉えて小説を読み直す。そしてそこでも村上春樹は評価される(ここの段階での村上春樹の評価が僕には理解できない)一方で中上健次の文章は、というよりも彼の小説のテーマは、お洒落野郎には受けない。ステータスにはなりにくい。母恋だったり、近親相姦だったりするからだ。そして登場人物は常に貧しい。最近蟹工船が流行っているらしいが、というかどこかの新聞が流行らせたらしいが、蟹工船ではなくて中上健次が本来流行るべきだったのではないかと思う。ただ、そういう別のテーマがからんでいるのおかげでブームの仕掛け人に選ばれなかったのだと思う。中上健次を読む読者のほとんどは、そういうタブーをテーマにした小説を「考えながら」読む。つまり、評論家と同じスタンスで読む。

そして、書店に並んでいる本の数は読者の数に比例する。そういういことだ。

今夜は「19歳の地図」を読んでみようと思う。中上健次予備校時代の作品。ちなみに彼はそのままデビューしてしまって大学には行っていない。車谷長吉の本も買ってしまったのでそっち読むのかもしれないけれど。フォークナーもどっかで調達しないと。
プライマルスクリーム/scremadelica うほい。LSDモノの一枚。

ちなみに柄谷行人はもう熊野大学には出ないらしい。