早慶だって落ちるのが恐いから受けないだけなのだ。行きたくもないし。

数学スタンダード4問
途中まで調子よかったのに、友達と喋りだしてそのまま五時間喋ったあと、マクドナルドで二時間喋る。

「みんな騙されて東大に入ろうとしてるけど、結局自分の役割を考えて選択したもん勝ちだぜ」という僕の東大から逃げるための論理について、「システムがむかつくし、あんなやつらむかつく、みんな死ねばいいのに」という僕の友達の東大逃避の論理について考えるための、マクドナルドでの修羅場の2時間があった。

発端は、チーズバーガー片手に「親も兄弟もみんな東大で、でも自分は成績が伸び悩んでるし、特に行きたくもないし、苦痛だし、何のために東大めざしてるんだかもうわけわからないよ。あの人達を僕は一生越える事ができないし、八方塞だよ。」と涙ながら語ったQ君(仮名)であった。鳩山邦夫の境遇である。たまたまその周りの3人の中に東大志望がいなかったので、(これは、僕の高校では非常に珍しい事である)僕らは僕らがどのように理由をつけて、東大という呪縛(コンプレックス)から逃れようとしているのか、そしてどれだけその呪縛にとらわれているのかを語った。

あるものは「システムを壊したい」と言った。Q君は「お前だってシステムに守られてるだろ」と言った。彼は、「それはそうだけれども、そのシステムを統括するものと、システムで統括されるものの狭間の位置にいるからこそシステムが壊せるのだよ」と言った。Q君は「君がやっている事によってまた新たなシステムが作り出されるだろ」と言った。そこで僕は「僕は苦痛が伴わないならいつだってシステムから解放されて死にたいと思っている。この言語システムに於いても死にたい。この貨幣システムにおいても死にたい。この政治システムに於いても死にたい。」と言ってみた。言うだけなら何も痛くないしタダなのだから。それからQ君は携帯の画面を一瞥してから「あ、中日勝った」と言った。

例えば落合記念館にはブリーフ一丁の落合の銅像があるし、主な展示品は彼のバットなどではなく、彼の太った放蕩息子が作ったプラモデルである。それがそこでのルール、システムだ。一方で、この国には東大を頂点とする大学の序列が存在し、高学歴の親の子供は高学歴になるというシステムが存在する。それは不可抗力的なルールなのだけれど、そこには劣等感や妬みの連鎖が生じ、東大出身の人間の子供なんかも少なからず苦しむ事になる。とりあえず、君たち、君たちの子供の苦しみについてもよく考えて大学を選んでいるのだろうな?ということ。

とりあえず苦しい事が多すぎると言う事。僕のほとんどの言動は、苦痛への怒りから発生しているという事。基本的人権放棄を求める裁判を夜な夜なシュミレートする毎日であるという事。なんでみんなこんな苦しい事に耐えられているのか、不思議だということ。みんな偉すぎるということ。でも君たちが闇雲に我慢しているからと言って我慢したくない人を軽蔑するのは人種差別ではないかということ。気持いい瞬間さえもいらない。何もない永遠に起伏のない真っ暗なところに閉じ込められて安心したい。深海魚のように。

今の時代を特別だと思う事は欺瞞であるが、人は概してそう思いがちである。この時代もいつかは教科書で数行にまとめられる時代になるだろうし、もっと時が経って意味が薄まれば誰もが忘れる時代になる。そういう時に生きて、一体なにをしたらいいのか。金融危機とか不況とかで騒いでる守銭奴の気が知れない。今まで歴史の中で何回の不況があったか。そのために何人が苦しみ、何人が死んでいったか。数え切れるはずもない。お前もそういう無数の中に帰していく。それだけのことだ。