自転車乗れたての子供を見た。すると、上空の雲が首が取れたての人に見えた。その下の交差点で警官が交通整理をしていた。(A Piece of Peace of Future) 

図書館から『琳派』の図鑑を持ち出している人がいた。『琳派』はとりあえず今秋のキーワードであるが、僕は琳派が作った工芸品のことも民藝なのかと思っていたら、どうやら違うみたいだった。それよりもむしろ僕が部活で作っていたたわいもない器のほうが、民藝らしいのだった。じゃあ例えばプラダの靴とか、ルイ・ヴィトンのキーケースとか、ブルガリの鞄とか、そういうのも民藝なのかと疑問に思って、柳宗悦の本を借りた。
なぜ彼は東洋のものにしか注目しなかったのか。例えば、時間がなかったという理由ならば、なぜ「民芸的」運動は世界中に波及しなかったのか。時勢の問題ならば、なぜこれほど多文化主義が奨励されつつある現在、その運動が世界に波及していかないのか。もしくは顕在しないだけで無意識的にはそういう方向にあるのか。民芸民芸騒ぎ立てたおかげで、作品の値段がつりあがったりするのは、反民芸的な現象なのではないか。「民芸」好きなのにそういう現象を助長している民芸コレクターは自己欺瞞の念を感じないのか。特に村上隆とか。そういうことが気になる。
今晩は柳宗悦の本をゆっくり読んで考えてから、ウッドストックドキュメンタリー映画を観て寝よう。

You Tube東京事変のライブ映像を見てたら、「こんなにすごいのにアイドルグループとチャートの位置が対して変わらないのはむかつく」的なコメントがあったが、アイドルグループの曲作ってるのは師匠の同業者だし、演奏はスタジオミュージシャンを使ってばっちりやってるんだから、結局顔と名前が違うだけで、起こっている現象はどっちも同じだと思う。名前と顔に騙されずに何に対しても同じスタンスで接しておかないと凄くいいものをどんどんと見落としてしまう。僕は今その事に対してものすごくナーバスになっている。

「私の死亡記事」という本がおもしろかった。
しらないうちに黒沢清がまた新しい映画を作っていた。みなきゃ。